ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.36


. 春と修羅・初版本

37これら葬送行進曲の層雲の底
38鳥もわたらない清澄(せいたう)な空間を
39わたくしはたつたひとり
40つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
41一挺のかなづちを持つて
42南の方へ石灰岩のいい層を
43さがしに行かなければなりません

「葬送行進曲」は、【74】「噴火湾(ノクターン)」のときと同じく、賢治が考えているのは、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》第2楽章“葬送行進曲(Mercia Funebre)”だと思います:7.12.9 葬送行進曲 画像ファイル:Funeral March

《英雄》のこの楽章は、葬送のように悲しく始まりますが、途中からは、まるで不死鳥がよみがえるように力強く高揚して行きます。

「清澄」に、「せいとう」という独特のルビ☆が振ってありますが、空が真青に澄みわたるという通常の語感を避けようとしたのかもしれません。

☆(注) 「澄」は、じつは変体字で、本来の字は「澂」ですから、音は「ちょう」のみで、「とう」という音はありません。

じっさい、33-34行目で:

33あやしい光の微塵にみちた
34幻惑の天がのぞき

と書いていたように、このそらの空間は、「鳥もわたらない」恐ろしい死の空間です。しんと透きとおっていながら、ぞっとするように暗いのです。重苦しい悲壮な空間と言ってもよい。

「層雲の底」の狭いはざまが、遥か地平の「幻惑の天」へと続いています。

1923年8月31日というこの詩の日付を重視すれば、震災の起こる予兆のあやしいそらの下を、「わたくし」の心は、震災の起きようとする「南」へ向かって飛翔しているのです。

「つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら」は、狂操の《熱した》精神に代る・新たな《心象》をつかみはじめていることを示しています。

ここで、「たったひとり」と、あえて言うのは、やはり保阪を意識していると思います。たとえ自分一人でも、困難な道を進んで行こうとする決意を述べているわけですが、‥では、じっさいに、保阪は震災の前後は、どうしていたでしょうか?




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