ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.35


. 春と修羅・初版本

29こんなにそらがくもつて來て
30山も大へん[尖]つて青くくらくなり
31豆畑だつてほんたうにかなしいのに

2行目は、《初版本》では「光つて」となっていますが、【印刷用原稿】を見ると、「光つて」は「尖[とが]つて」の誤植と思われます。

さきほどまで、川面は「水銀」のように輝き、

23貨物車輪の裏の秋の明るさ

とも書いていましたが、いま、にわかに空が曇って暗くなってきました。

山が尖って見えるのは、陰影が濃くなったせいです。

「豆畑」は大豆畑でしょう。ダイズは6〜8月が花期、10〜11月が収穫期です:画像ファイル:大豆畑
【印刷用原稿】では、

「豆畑だつてほんたうに白くかなしいのに」

となっています。「白く」を削ったのは音数リズムの関係で、意味に変更はないと思われます。大豆の葉が風で翻って、白い葉裏をひらひら見せているようすが悲しい気持ちにさせるのです。 高等農林学校時代の短歌に:

「風吹きて豆のはたけのあたふたと葉裏をしらみこゝろくるほし」
(歌稿A #249)

というのがあります。

. 春と修羅・初版本

32わづかにその山稜と雲との間には
33あやしい光の微塵[みじん]にみちた
34幻惑の天がのぞき
35またそのなかにはかがやきまばゆい積雲の一列が
36こころも遠くならんでゐる
37これら葬送行進曲の層雲の底

賢治は、「積雲」と「層雲」を対比的に書いているようですが‥

現在の《十種雲形》分類ですと、「積雲」は、そのまま積雲です。青空に、ぽっかり浮いている雲です:画像ファイル:積雲、層積雲、乱層雲

「層雲」と言っているのは、層積雲か乱層雲です。波打った底を見せて広い空を覆っている黒っぽい雲、いまにも雨が降りだしそうな雲です。

そこで、いま作者が見ている空の様子は、一番上を乱層雲(または層積雲)が覆い、下には北上山地の山々☆が波打っています。その・乱層雲と山々に挟まれたせまい空間に、積雲が列をなして浮かんでいますが、それはかなり地平線に近い遠方です。

積雲の列が浮かんでいる空間のようすを、「あやしい光の微塵にみちた/幻惑の天がのぞき」と言っています。

雲と山で挟まれたせまい範囲に、いちおう青空★が見えるのでしょうけれども、「幻惑」するかのような怪しい光に満ちた空です。陽の光がそこから差し込んでくるので、浮かんでいる積雲は「まばゆ」く輝き、空間には細かい光の微粒子が舞っているように見えます。

「こころも遠くならんでゐる」は、積雲が並ぶ地平までの、気の遠くなるような遠い距離を言っているのだと思います。
あるいは、逆に、遠くの空を翔けている雲のほうに、自分の心が飛んで行ってしまうような…、頭の中が空っぽになったような放心状態かもしれません。

☆(注) 奥羽山脈側でなく、北上山地側の山々だと考えたのは、北上山地のほうが標高が低く、乱層雲とのあいだに青空が残る可能性が高いからです。

★(注) 上の雲が乱層雲だとすると、青空ではなくて、荒天の予兆のような黄色〜灰色っぽい空かもしれません。

「葬送行進曲」の調べに乗るかのように、しずしずと動いて行く「まばゆい積雲」の列です。
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