ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.2.22
【45】「天然誘接」↓も、「雲とはんのき」に深い関連がありそうです。
. 春と修羅・初版本
「 北[斎]のはんのきの下で
黄の風車まはるまはる
いつぽんすぎは天然誘接(よびつぎ)ではありません
槻(つき)と杉とがいつしよに生えていつしよに育ち
たうたう幹がくつついて
險しい天光に立つといふだけです
鳥も棲んではゐますけれど」
【45】のところで説明したように、「北[斎]のはんのきの下で/黄の風車まはるまはる」は『冨嶽三十六景』の→この絵を念頭においています:⇒冨嶽三十六景・駿州江尻
できたら、↑拡大して見てください。黄色い菅笠が風にとられて、回転しながら飛んで行きます。「黄の風車」は、この菅笠でしょう。近景には、2本の広葉樹(はんのき?)が並んで立っています。
「いつぽんすぎは天然誘接ではありません
〔…〕
險しい天光に立つといふだけです」
は、“たがいに他を尊重しあいながら、支え合って生きて行く”という・個々の独立と矛盾しない共生の可能性を述べています。
それは、保阪(とは限らないが、生涯を共にする人)に対する作者の希望であり、
同じ思想が、「雲とはんのき」の:
. 春と修羅・初版本
15アマルガムにさへならなかつたら
という、すこし揶揄したような言い方の中にも現れています。
15アマルガムにさへならなかつたら
16銀の水車でもまはしていい
17無細工な銀の水車でもまはしていい
18 (赤紙をはられた火薬車だ
19 あたまの奥ではもうまつ白に爆發してゐる)
20無細工の銀の水車でもまはすがいい
「アマルガムにさへならなかつたら/銀の水車でもまはしていい」と、最初は、“融け合いはしないけど、いっしょにやっていこう”という受け入れの姿勢ですが、(水銀の流れの力で廻る銀の水車‥、きらきらと輝いて、美しい協働のイメージですね←)
すぐに次の行で、その協働関係を、「無細工な‥水車」と呼んでやや蔑み、……
最後には、「無細工の銀の水車でもまはすがいい」と、まったく投げやりな調子になってしまいます。
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