ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.14.5
本来は橙黄色灯の「遠方シグナル」なのに、作者の《心象》として言うと、今朝は、賢治と嘉内の“銀河の誓い”にあった“消えたたいまつの熾(おり)”↓のように、暗赤色に鈍く「澱んでゐ」るということです:
「けれどもあの銀河がしらしらと南から北にかゝり、静かな裾野のうすあかりの中に、消えたたいまつを吹いてゐたこと、そのたいまつは或は赤い小さな手のひらのごとく、あるひはある不思議な花びらのやうに、暗の中にひかってゐたこと、またはるかに沼森といふおちついた小さな山が黒く夜の底に淀んでゐたことは、私にこゝろもちよい静けさを齋します」(1918年12月10日前後,保阪嘉内宛て[94])
もう一つ重要なことは、列車はいま、停車場に近づこうとして走っている──が、まだ距離がある──ということです。停車場のプラットホームに停車して、遠方にあるシグナルを見ているのではない!‥ということです。なぜなら、「遠方シグナル」は、駅に近づいて来る列車に向かって表示するのであって、駅のほうを向いてはいないからです。
釜石線 土沢付近(遠野方面から)
. 春と修羅・初版本
08川はどんどん氷(ザエ)を流してゐるのに
09みんなは生(なま)ゴムの長靴をはき
10狐や犬の毛皮を着て
11陶器の露店をひやかしたり
12ぶらさがつた章魚(たこ)を品さだめしたりする
13あのにぎやかな土澤の冬の市日(いちび)です
「氷」に「ザエ」というルビを振っていますが、「ザエ」は方言で、川を流れる流氷のこと。
「生(なま)ゴムの長靴」は変ですね。ゴムの木の樹液を固めた《生ゴム》は、軟らかすぎて、消しゴムぐらいにしかなりません。《生ゴム》を加硫(硫黄を加えて弾性を増すこと)したものが、長靴やタイヤの材料になる《ゴム》です。
しかし、ここでは正確なことは置いて、「生ゴム」という音感でイメージを持てればよいのだと思います。
「土沢(つちざわ)」は、花巻から岩手軽便鉄道(現・釜石線)で4つ目の駅。土沢は、江戸時代から釜石街道の宿場町として栄えました。街道に沿って集落があります。
歳の市については分かりませんでした。現在行われている行事は、七夕祭りと、秋の土沢祭り(嫡八幡神社祭礼)です。
ともかく、にぎやかな歳の市の情景を織り込んでいることが、このスケッチを、単なる作者一人の幻想であることを越えて、懐かしく親しみある集合表象にしています:
「狐や犬の毛皮」「陶器の露店」「ぶらさがったタコ」など、小道具のいちいちを選りすぐって並べているのが分かるでしょうか。
ともかく、作者は、列車の車窓から、この土沢の賑わいを眺めているのです。
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