ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.12.14


‥そこで、「鎔岩流」ですが、いま賢治は、嘉内との間で話題になった《外山高原》を眺めながら、営農活動に向けて努力を重ねている嘉内と同じ道を自分も歩んで行くことによって、ふたりの間の友情と理想が復活することを夢見ているのではないでしょうか?‥

かつての《熱い》情念から、そのまま噴き上がるようにして理想の世界へ‘昇天’して行こうとする道すじ☆は、その観念性や、‘道すじ’と思われた田中智学の絶対的“日蓮主義”信仰に対する幻滅から、頓挫せざるをえなかったわけですが、★

嘉内が主張するような、もっと現実的な道は開けないものだろうか?‥

☆(注) 「あり得べき境地とは〔…〕生命的なエネルギーを『宗教愛』(信仰)に昇華させることであったと考えられる。」「終章『風景とオルゴール』も、〔…〕あり得べき境地からの退却の姿勢が露わである。〔…〕詩『宗教風の恋』においても、生命と信仰の一体化への志向は、もはや断念されて、分裂の相が露わである。〔…〕そして、賢治は、これ以後、自らの生命エネルギーを解放し、信仰へと昇華させるこの『春と修羅』第一集で辿ったプロセスを、再び同じように辿ることはないだろうと考えられる。」「賢治の中に、生命から信仰へというプロセスを主張することが、現時点の社会において妥当かどうかということについての疑問が生じたのではなかったか。賢治は、そこに、ある危険性を感じたのではないかと考えられる。」秋枝美保『宮沢賢治 北方への志向』,pp.131-134.

★(注) 「賢治は自らの信仰を求める心に当初から『修羅』を見ていた。散文詩的作品『復活の前』(『アザリア』第5号1918(大正7)年2月20日)において、賢治は自らの生命エネルギーの始動を『青い蛇』として描いている。〔…〕妹トシの死にあたって自らの信仰の絶対性を確信したいとする『けがれたねがひ』〔…〕『ほんたうの考とうその考』を、実験によって分ける〔『銀河鉄道の夜』【初期形三】で、「黒い大きな帽子」の「青白い顔の瘠せた大人」がジョバンニに語る思想──ギトン注〕というところにそのままつながる、危険な絶対志向である。〔…〕絶対を客観的に把握したいという強い願望は、やはり『けがれたねがひ』と言わざるを得ない。〔…〕賢治は妹トシの死後の行方を知り、自らの信仰の絶対性を確かめるという強い願望から距離を置き始める〔…〕賢治の信仰の質の変化〔…〕「にょらいじゅりょうぼん第十六」という題目を唱えると途端に天上があらわれるというような、形式化された信仰のあり様が変化したことは明らかである。それは〔…〕田中智学的理想主義からは大きく隔たっており、〔…〕独自の地平を開拓していく過程をみることができる。」秋枝美保『宮沢賢治の文学と思想』,pp.368-369.

‥とは言っても、夢想的・思弁的な賢治の資質からして、一挙に実践の方向へ転換することはできないので、とりあえずは、詩集という「ぼくの‥青いリンネルの農民シヤツ」をまとった自分を、イメージしているのだと思います。

ごわごわの「農民シヤツ」に“菩提樹皮(まだかわ)”の帯を回した“農民詩人”となって、嘉内の前に、トルストイのように立ち現れよう──そんな想像をしているのかもしれません。。。



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