ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.9


この「やなぎ木立」も、これまで《心象スケッチ》で描かれてきた“やなぎ”とは対照的です。
これまで、“やなぎ”の多くは、ハコヤナギ、ドロノキ、ポプラなど、天に向かってまっすぐに枝を伸ばす楊樹であり、《天》との関係は、一心に伸び上がるさま、あるいは、天の光の中に立ち、雲や風と交感するさまを示していました。つまり、杉やヒノキと同様に、生命の象徴である《木》のイメージだったと思います。たとえば:

. 春と修羅・初版本

01  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
02雲は來るくる南の地平
03そらのエレキを寄せてくる
04鳥はなく啼く青木のほづえ
05くもにやなぎのかくこどり
06  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 
(青い槍の葉)

. 春と修羅・初版本

26  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
27雲がちぎれてまた夜があけて
28そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ
29風に霧ふくぶりきのやなぎ
30くもにしらしらそのやなぎ
31  (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 
(青い槍の葉)

しかし、「一本木野」の「やなぎ木立」は、「孔雀石」の「天椀」の下で「ひそま」っている──《天》を恐れるかのように静まり返っているのです。

この「孔雀石」の天空のイメージも、「序詩」などに現れる「青ぞらいつぱいの‥孔雀」に近いのではないかと思います:

「おそらくこれから二千年もたつたころは
 それ相當のちがつた地質學が流用され
 相當した證據もまた次次過去から現出し
 みんなは二千年ぐらゐ前には
 青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ」
(序詩)

この《孔雀》のモチーフも、賢治詩歌にしばしば現れるのですが、短歌や『春と修羅・第1集』では、まどろむような曖昧なイメージでしか見られません☆。本格的なモチーフとして表象されるのは、『第2集』以後かもしれないと思います。

☆(注) 「みづうみは夢の中なる碧孔雀まひるながらに寂しかりけり。」(歌稿B #783:比叡 延暦寺大講堂)。「こんなさびしい幻想から/わたくしははやく浮びあがらなければならない/そこらは青い孔雀のはねでいつぱい/眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち/車室の五つの電燈は/いよいよつめたく液化され」(青森挽歌)。

上田哲氏によれば、《孔雀》はカトリックでは重要な表象で、永遠の生命、復活、キリストなどを象徴します★。おそらくカトリック思想──つまり、賢治の信仰遍歴と何らかの関係があると思われるのです。

賢治の場合には、人の(あるいは神の)目のような孔雀の羽模様は、作者や他の人間たちの心の中を──その信仰の内実を見下ろす眼であったとも見られるからです。

★(注) 上田哲『宮沢賢治 その理想世界への道程』,1985,明治書院,p.209.

ともかく、「一本木野」では、《天》をみたす孔雀の羽模様に対して、柳が、静かに「ひそま」っているという点が重要でしょう。《天》に向かって伸び上がって行くのではなく、静かに葉を垂れて風にそよぐシダレヤナギの形が、このモチーフの意味を示しています。

. 春と修羅・初版本

15薬師岱赭(やくしたいしや)のきびしくするどいもりあがり
16火口の雪は皺ごと刻み
17くらかけのびんかんな稜(かど)は
18青ぞらに星雲をあげる

スケッチ「一本木野」前半の叙景の最後は、このように、それまでのゆったりした明るい野原の風景とは対照的に、岩手山の火口丘が天に向かって突き上げる険しい風景を叙述しているのです。
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