ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.8


. 春と修羅・初版本

12ひとむらのやなぎ木立は
13ボルガのきしのそのやなぎ
14天椀(てんわん)の孔雀石にひそまり
15薬師岱赭(やくしたいしや)のきびしくするどいもりあがり

「ひとむらのやなぎ木立」は、その言い方からするとシダレヤナギのようです:画像ファイル:シダレヤナギ 楊樹やポプラの系統ではなさそうです。株立ちしたシダレヤナギがかたまって生えているようす。

「ボルガの岸のそのやなぎ」が、チェーホフの『柳』に関連があるとすれば、年経て「のはら」のあらゆる出来事を見てきた老木を想像すべきでしょう。それは、この世の未練としがらみを棄てきれない亡霊たちが居つく場所でもあるのです。
宮沢賢治は、《心象スケッチ》でも、このようなサラッとした童話風の描き方をするので見過ごしてしまいがちですが、しばしば賢治詩の象徴性はチェーホフのような深みにも達しているのだと思います。

“チェホンテ”というペンネームで諷刺作家として売り出していた初期のチェーホフが書いたこの短編について、原稿を受け取ったユーモア週刊誌の編集者は、「魅力的だが‥いささか深刻すぎる」と難色を示しましたが、チェーホフは、「ひどく目ざわりにはならないはずです。‥わたしの見るところ、喜んで読まれる、つまり、しらけさせはしません」と主張して掲載させています(松下裕「解説」, im oben angefuehrten『チェーホフ全集』第1巻,p.294)。

その短編『柳』で、柳の木の“うろ”について、↓つぎのようにも書かれています:

「そのうろに手を突っこめば、あなたの手は黒い蜜にはまりこむにちがいない。野生の蜜蜂があなたの頭に群がって、刺しはじめるにちがいない。」

「天椀」は、“穹窿”に同じ。裏返した巨大なお椀を下から覗いているような天空の“丸天井”です。

「孔雀石」は、緑青(ろくしょう; 銅の錆)と同じ塩基性炭酸銅からなる鉱石で、孔雀の羽模様によく似た渦巻形の縞があります。石言葉は“危険な愛情”:画像ファイル・孔雀石

この:

14天椀(てんわん)の孔雀石にひそまり

は、「やなぎ木立」のことなのか、次の行の“薬師火口”のことを言っているのか、あいまいですが、文脈の流れから言えば、「やなぎ木立」が「孔雀石」のそらの下で「ひそま」っているということでしょう。
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