ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.3


あるいは、「天末」(地平線)に注目するときは、そこは結局、“聖なる存在”が君臨する《天》そのものと見なされてしまうのです:

. 春と修羅・初版本

「野はらのはてはシベリヤの天末
 土耳古玉製玲瓏のつぎ目も光り
     (お日さまは
      そらの遠くで白い火を
      どしどしお焚きなさいます)」
(丘の眩惑)

. 春と修羅・初版本

「向ふの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツディン、洋燈ラムプとり)
 急がなけばならないのか」
(屈折率)

作者や、地上のものたちが住む・この世界が、地平線の彼方へ無限に広がっているという発想は、そこには乏しかったと言わなければなりません。

. 春と修羅・初版本

86どうだこの天頂の遠いこと
87このものすごいそらのふち
88愉快な雲雀もたうに吸ひこまれてしまつた
89かあいさうにその無窮遠の
90つめたい板の間にへたばつて
91瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない 
(真空溶媒)

↑この場合には、強烈な“垂直構造”のために地平線は《天》と《地》に挟まれてぺしゃんこになってしまい、そこへ吸い込まれて行ったヒバリは、生気を失って震えていると言うのです。。。





さて、このような『春と修羅』前半までの、強烈な垂直構造が支配する・いわば‘権威主義的’な《心象》世界に替って、この【第8章】で次第に姿を現してきたのは、地平の彼方まで無限に広がってゆく・この世界の《大地》なのだと思います☆

☆(注) 交通の便利でない時代に内陸部で育った宮沢賢治にとって、山稜によって限られない地平・水平の存在する世界は、はじめは驚異以外の何ものでもなかったのです。中学時代の修学旅行で、はじめて水平線のある海を見た驚きが、つぎの短歌によく現れています:「まぼろしとうつゝとわかずなみがしらきそひよせ来るわだつみを見き」(歌稿A #10)

この地平の“無限遠の景観”が、宮澤賢治にとって、なぜ重要かと言いますと、それは言わば《大地の発見》に他ならないからです。
《大地》の巨いさ、偉大さの発見は、そこに愛着すべき“故郷”を見出すことに、ほかならなかったのだと思います。
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