ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.10.7


. 自由画検定委員

34青ざめたそらの夕がたは
35みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり
36きらきら金のばらのひかるのはらを
37犬といっしょによこぎって行く
38青ざめたそらの夕がたは
39みんなはいちれつ青ざめたうさぎうまにのり

「よこぎって行く」──これが重要だと思います。この詩は40行目以降が切れているので、どんなふうに終ったのか分かりません。
この第6連と第5連は、2行ずつの《A-B-A》という繰り返しの構造で、それが第7連以下でどうなるのかも気になりますが、やはり不明です。そもそも、賢治の詩には、このようなリフレインは非常に稀れです。この詩だけではないでしょうか?

そういうわけで、「自由画検定委員」の散逸した結末(あるいは後半部)──つまり“結論”が気になるのですが、‥「よこぎって行く」という設定は、この詩の大意の方向を示していると思うのです。

この『心象スケッチ 春と修羅』、とくにその前半には、作者が、まっすぐに“画面”の奥へ向かって進んで行くけしきが多かったように思います。たとえば、「屈折率」「くらかけの雪」‥などなど。あるいは、作者は足を止めて、背景の遥か彼方を望んでいました。たとえば、「オホーツク挽歌」。

しかし、ここでは、子どもたちが「いちれつ」になって、野原を「よこぎって」、“画面を”横断して行くのです。つまり、それを眺めている作者の視線は、彼方ではなく、手のとどく距離を通過する「みんな」に注がれています。

この詩は全体として、あるいはサイケデリックな色調の(ピンクの柱や軒)、あるいは大胆な構図ときらびやかな色彩に事欠かない世界ですが、それが作者を取り巻く世界として描かれている点が特異です。

『心象スケッチ 春と修羅』に似た作品を求めれば【21】「真空溶媒」でしょうけれども、「真空溶媒」の世界には、「みんな」──子どもたちはいなかったし、さまざまな形で“彼方”への関心が表明されていたと思います。

作者のこのような視点の変化は、おそらく“故郷の土地と人々”への開眼につながるのだと思います。そして、この方向は、「自由画検定委員」と差し替えられた【85】「一本木野」,【86】「鎔岩流」にも受け継がれて行くのです。



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