ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
165ページ/219ページ


8.9.8


. 春と修羅・初版本

26そんならもうアカシヤの木もほりとられたし
27いまはまんぞくしてたうぐわをおき
28わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに
29應揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども

ニセアカシアの掘り取り作業は完了しました。そこで、作者は、梨の樹の「雫」がそのまま保たれていることを願いながら、その下へ行きます。29行目の「その木」は、梨の樹です。

「唐鍬(とうぐわ)」は、厚く丈夫な刃が特徴のクワで、抜根・穴掘り・開墾作業に使われます:画像ファイル:唐鍬

↑写真を見ても、柄と刃を繋ぐ部分がしっかりと造られているのが分かると思います。




28わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに
29應揚にわらつてその木のしたへゆくのだけれども
30それはひとつの情炎だ
31もう水いろの過去になつてゐる

「情炎」とは、作者が別れを告げようとしている《熱した》精神、“絶対真理”を信じ、それに向かって昇ってゆこうとする熱っぽい情念です。

作者は、「待つてゐたこひびとにあふやうに」「應揚にわらつて」、《熱い》記憶との再会を求めるのですが、“恋人”は待ってはいなかった──“恋”は再現されないことを知るのです☆

☆(注) 「詩『過去情炎』では、『アカシアの木』を、根こそぎ『掘りとる』イメージが描かれ、詩人の内的生命の根絶が、完全に果たされたと言える。〔…〕掘りとってしまった後、その『情炎』は、もう『水いろの過去』になってしまっていたというものである。」(秋枝美保『宮沢賢治 北方への志向』,p.127)

「もう水いろの過去になつてゐる」:梨の樹の「雫」は、水滴の形が変ってしまって、もう「そらや木」を映さなくなっているのか、日が翳ったのか、それとも蒸発してしまったのか?‥
むしろ、作者のこの言い方は、“水滴”がどうなったかではなく、“水滴”がメタファーとして表現していた《熱い》精神や恋愛感情が、もはや遠いものになってしまっていることを述べているのだと思います。

ともかく、「雫」もまた変転してやまないのです。

変転してやまない人の心、炎のように揺れつづける恋の熱情も同じでしょう。しかし、そうした「たよりない性質」が、“万象を映す樹の雫”や、紅いろの宝石のような実を、一時的とはいえ、せわしく結ぶのです。
それが、生き生きと息づく《現象》の世界であり、その中で生きる作者と周囲の「みんな」(ひと、生きもの、もの)とにほかなりません。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ