ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.7.11


. 春と修羅・初版本

39しきりに馬を急がせるうちに
40早くも第六梯形の暗いリパライトは
41ハツクニーのやうに刈られてしまひ
42ななめに琥珀の陽も射して
43  《たうたうぼくは一つ勘定をまちがへた
44   第四か第五かをうまくそらからごまかされた》

「ハックニー」は、脚を高く上げて馬車を引く優雅な仕草(ハクニー歩様)で知られる英国原産の馬種。馬車用の最高級品種:画像ファイル・ハクニー 体毛が短いかもしれません。あるいは、お化粧として体毛を短く刈るのかもしれません。

“鉢森”は、形の良いお椀形のきれいな丘ですから、「ハックニーのやうに刈られ」という譬喩は適切です。

「暗いリパライト」とも言っています。
「リパライト」は、「流紋岩」「石英粗面岩」に同じ:画像ファイル・リパライト 花崗岩質のマグマが地上に噴出してできた白っぽい火山岩です。流紋岩質の溶岩は粘性が強く、盛り上がった火山体を形成します。賢治は、「七つ森」も、流紋岩質マグマが固まってできたものと考えていたのでしょうか。

高等農林時代に、次のような短歌があります:

「青びかりのかゝる天盤の下にして
 あまりに沈む Lipariteかな」
(歌稿B 大正五年十月 #386)

「野ばらの木など
 かゞやくものを 七つもり
 あまりにしづむ リパライトならずや」
(同 #387)

「リパライト」は、当時、嘉内と賢治の‘共通詩語’の一つで、‘愚鈍、陰鬱、暗い’といったイメージの付された言葉でした。

“鉢森”は、奥にありますから、暗く見えるかもしれません。“踏査写真10”でも、たしかに暗く撮っています:踏査写真9,10

「勘定をまちがへた」と言っていますが、電車に乗ってゆくと、“馬形丘”が見えた“2km地点”と、この“3km地点”の間は、線路の南側に森林が迫っているので、丘の風景は見えなくなるのです(踏査写真9↑参照)。視界を塞がれている間に、丘をひとつ見逃したか‥と、賢治は思ったかもしれません(じっさいは、そんなことはないのですが)。

45どうして決して、そんなことはない
46いまきらめきだすその眞鍮の畑の一片から
47明暗交錯のむかふにひそむものは
48まさしく第七梯形の
49雲に浮んだその最後のものだ
50緑青を吐く松のむさくるしさと
51ちぢれて悼む 雲の羊毛
52    (三角(さんかく)やまはひかりにかすれ)

「第七梯形」にあたるのは、《七ツ森》の西端にある最高峰の“生森(おおもり)”です。

写真を見ると、「緑青を吐く松のむさくるしさ」と言う感じが、少し分かるかもしれません。頂上付近の木々が乱れて、ほつれたようになっています:踏査写真10〜12

ちなみに、“生森”に限りませんが、現在、《七ツ森》の樹種は大部分がアカマツです。賢治の時代にも、林地になっているところはアカマツ林だったろうと思います。人の手が入って野原になった場所が、森林に戻るときには、まず陽樹のアカマツが主体の疎林になるのです:三手森〜生森縦走 三手森〜生森縦走

「いまきらめきだすその眞鍮の畑の一片から/明暗交錯のむかふに」と言っていますから、列車は、いま生森の西側の平野部に出たところでしょう(↑踏査写真12)。

「雲に浮ん」でいると言っていますが、生森は、そんなに高くはありません。たぶん、ふもとに靄がかかって、頂上部が上に顔を出しているのではないでしょうか。
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