ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.6.4
ところで、この詩の題名は「昴(すばる)」ですけれども、昴は、さきほどの:
03(昴がそらでさう云つてゐる)
に、いちど現れるだけなのです。しかもこの行は、見たもののスケッチではなく、隠れた意識の声です。
この「昴」は、もっと掘り下げて考えたほうがよいのかもしれません。でないと‥なぜ題名が「昴」なのか分からなくなります。。。
そこで、先行する作品をあたってみますと、『冬のスケッチ』に、↓つぎのような断片が見られます:
「梢ばかりの紺の一本杉が見えたとき
草にからだを投げつければ
わづかに見える天の地図
※
地平線近くのしろびかりは
亜鉛の雪か天末か
うすあかりからかなしみが来るものか。
※
おゝすばるすばる
ひかり出でしな
枝打たれたる黒すぎのこずえ。
※
せまるものは野のけはひ
すばるは白いあくびをする
塚から杉が二本立ち
ほのぼのとすばるに伸びる。
※
すばるの下に二本の杉がたちまして、
杉の間に一つの白い塚がありました。
如是相如是性如是体と合掌して
申しましたとき
はるかの停車場の灯(あかし)の列がゆれました。」(『冬のスケッチ』22,1 - 23,1)
湯口村にあった《一本杉》☆でのスケッチと思われますが、草に寝そべって「かなしみ」に浸っている作者の前の杉の梢に、スバルが出てぼんやりと光ります。
スバルのぼんやりした光は、「白いあくび」をしているように見えます。
「塚から杉が二本立ち」、それらの梢は、スバルに伸びています。
2本の杉の間には「一つの白い塚があり」、それに向かって合掌して祈ると、「はるかの停車場」(東北本線花巻駅)の電灯の列が、祈りに答えるように揺れました。
☆(注) 1923年に花巻農学校が移転した場所の近くで、現在は“文化会館前”バス停のそばに、《一本杉》跡の案内標があります。/なお、文中の「如是相如是性如是体」は『妙法蓮華経』「方便品」にある有名な“十如是”の一部ですが、賢治の引用のしかたは、“十如是”の教義、ひいては天台教学・日蓮宗で宣揚する“一念三千”の教義(もとのインド仏教にはない!)に疑問を持ったためでは?‥問題が大きすぎて、とてもここでは扱えませんが。
言うまでもなく、『冬のスケッチ』は、菅原智恵子氏によれば、恋人保阪嘉内に対する棄てがたい思いと悲しみをつづったものであり、「二本の杉」、あるいは、杉と欅が並び立った《一本杉》は、賢治と嘉内の絆を象徴しています:⇒8.2.22 「天然誘接」 8.4.12 《一本杉》
2本の杉の間の「白い塚」は、友愛の誓いを埋葬した墓場のようでもあり、忘却の象徴のようでもあります★
★(注) 『春と修羅』の賢治にとって、“まぶしく白い容れ物”は、忘却の象徴です。たとえば、「なにか忘れものでももつてくるといふ風…(蜂函の白ペンキ)」(小岩井農場・パート3)
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