ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.19


琴子の病没は、1924年2月4日ですから、「風景とオルゴール」が書かれた時には、瀕死の床にあったはずで、その重篤な状況は伝え聞いていたと思います。

. 春と修羅・初版本

53電線と恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ
54そこから見當のつかない大きな青い星がうかぶ
55   (何べんの戀の償ひだ)

「何べんの恋」と書いていますから、この「大きな青い星」のモチーフに流れ込んでいるのは、嘉内との恋だけではないと思います。“恋愛”ではないとしても、賢治らと同様の若い信仰者であったトシや琴子に寄せた心情も、ここには反映していると思うのです。

なお、琴座には、“オルフェウスとエウリディケー”をはじめ、さまざまな伝説が結び付けられているので、そこから、賢治の「琴の星」を解釈する論者も多いのですが、『銀河鉄道の夜』についてはともかく、草稿に「琴の星」という語があっただけの「風景とオルゴール」については、そこまで深入りして考えないほうがいいと思います。

56そんな恐ろしいがまいろの雲と
57わたくしの上着はひるがへり
58   (オルゴールをかけろかけろ)
59月はいきなり二つになり
60盲ひた黒い暈をつくつて光面を過ぎる雲の一群
61   (しづまれしづまれ五間森
62    木をきられてもしづまるのだ)





「そんな恐ろしいがまいろの雲」は、「恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ」と同じでしょう。

「わたくしの上着はひるがへり」は、1919年「北上川第四夜」#734の:

「劫初の風はわがころも吹く」

を想起させます。新しいカルパの「はじめの風」が、古いものをすべて削り去ってゆくかのように、激しく吹きすさんでいます。

「オルゴールをかけろかけろ」は、すでに説明したように、道路に沿って架設された電線が、強風に引き裂かれる悲鳴のような高い唸り声──それは、遠くなった保阪に向けられた賢治の内奥の思いを表します。
月もまた、作者を脅すかのように、まっ二つに分裂☆して怪異を示します。

☆(注) この“月の分裂”も、気象現象として合理的に理解することは可能です。2とおりの案があるようです。@60行目にあるように、雲が月の前を通過したので、月面が二つに分裂して見えた。A大気中の氷晶が光を屈折して、暈と白虹の交点に別の小さい太陽や月が見える現象(幻日)。ただし“幻月”は非常に稀れ⇒:画像ファイル:幻日環、幻月環 しかし、作者の《心象》の中では、月は実際に、「いきなり二つになった」のであり、そのことこそが重要であって、その合理的解釈いかんは、どちらでもよいと思います。
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