ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.78


しかし、「感ずることのあまり新鮮にすぎる」と言わなければならないほど鮮明な感覚の来襲、“幻視”の飛躍は、作者の精神に対して、ふたたび自己分裂を引き起こす危機を内包しています。

そこで、まもなく夜が明けようとする兆しの中で、作者の中の醒めた理性的意識は、起き上がって、

「がいねん化することは/きちがひにならないための/生物体の一つの自衛作用だ」

と、警告を発し、《天》にも《地獄》にも、また他の方向にも、野放図に拡散して行こうとする“幻視”を、ここで打ち切ろうとするのです↓

. 春と修羅・初版本

210むかしからの多数の実験から
211倶舎がさつきのやうに云ふのだ
212二度とこれをくり返してはいけない






「さつきのやうに」と指示している『倶舎論』の内容は、厳密に言えば詩行には現れていません。詩行は、いわば『倶舎論』の枠組みをも乗り越えて走るイメージの奔流だからです。さまざまな方向へ飛んで行こうとする不羈奔放な想像力の交錯は、作者の精神を引き裂いてしまいかねません。

しかし、ここで作者は、『倶舎論』の枠組みを思い出し、そうした理論的な枠組みがあることで満足しよう、想像力の展開は打ち切ろうと言っているのです。

作者は、「二度とこれ〔とりとめのない分裂的な思索〕をくり返してはいけない」と、強い調子で自戒します。

. 春と修羅・初版本

213おもては軟玉と銀のモナド
214半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ

「軟玉(なんぎょく,ネフライト)」は、角閃石系の鉱物の固溶体[Ca2Mg5Si8O22(OH)2〜Ca2Fe5Si8O22(OH)2]で、白色〜淡緑色の石です。中国では昔から宝石とされ、“玉”と言えばネフライトのことでしたが、軟らかいので現在では準宝石とされています:画像ファイル:軟玉

「モナド」は、ライプニッツ哲学の用語で一種の原子ですが、ここでは、非常に細かい微粒子ということでしょう。

「軟玉と銀のモナド」は、朝もやにけむる車窓外の景色を言っています。

214半月の噴いた瓦斯(ガス)でいつぱいだ
215巻積雲のはらわたまで
216月のあかりはしみわたり

半月が“ガス”を噴くという発想は、第8章の「風の偏倚」にもありますが、ここでは「ガス」とは、半透明な靄のことでしょう。

「巻積雲」は、うろこ雲。

この日の記録によると、未明の時間は、晴れて、巻層雲がかかっていたそうです☆

☆(注) 「青森気象台の記録によると当日(大正一一年八月一日、午前二時)の天候は晴れで、雲量は8〔…〕いつの時点の観測かは不明だが日暈が記録されており、その日、絹(巻)層雲のかかっていたことが確認できる。〔…〕午前6時の段階で雲量は10」鈴木健司『宮沢賢治という現象』,p.139.

月齢は18.1日(8月1日)で、満月と半月の中間。靄と薄雲に隠されて月の輪郭がぼんやりしていれば、「半月」に見えてもおかしくはありません。

薄いウロコ雲を透して月の光が広がっているようすを、「巻積雲のはらわたまで/月のあかりはしみわたり」と言っています。

「青森挽歌 三」で見ると:

. 青森挽歌 三

「巻積雲のはらわたまで
 月のあかりは浸みわたり
    〔…〕
 大てい月がこんなやうな暁ちかく
 巻積雲にはいるとき
 或ひは青ぞらで溶け残るとき
 必ず起る現象です。 」

となっていて、やはり、月はウロコ雲で隠されているようです。
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