ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.60


宮沢賢治もまた、仏教の《多世界宇宙論》を学びながら、なかなか《単世界宇宙論》から抜け出せなかったのではないでしょうか?

何度も引用した部分ですが、「風林」では、つぎのように書いていました:

. 春と修羅・初版本

「おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
 鋼青壮麗のそらのむかふ
  (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
   光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか」

このあと、第7章最後の作品「噴火湾(ノクターン)」でもやはり、次のように書いています:

. 春と修羅・初版本

「ああ何べん理智が教へても
 私のさびしさはなほらない
 わたくしの感じないちがつた空間に
 いままでここにあつた現象がうつる
 それはあんまりさびしいことだ
   (そのさびしいものを死といふのだ)
 たとへそのちがつたきらびやかな空間で
 とし子がしづかにわらはうと
 わたくしのかなしみにいぢけた感情は
 どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」

つまり、頭では、仏教の《多世界宇宙論》が正しい、「倶舎がさつきのやうに云ふのだ/二度とこれ〔堂々巡りの思索──ギトン注〕をくり返してはいけない」と思っていても、心情的には、この《単一世界》以外考えられない、他の《世界》を考えるなんて「あんまりさびしい」と言うのです。

もっとも、21世紀の日本人は、宮沢賢治のころとは心性が違ってきているかもしれません。ギトンなどは、死に別れした元恋人と、“他の世界”で幸せに暮らしている夢を見るほどですw
みなさんは、どうでしょうか?‥

脱線しすぎましたので、『倶舎論』に戻りたいと思います。

「宇宙の形成は──『倶舎論』の記述にしたがえば──まず、なんの存在とてもない広く虚しい空間に、サットヴァ・カルマンの力がはたらきだすことによって、どこからともなく微風≠ェ吹き起こることから始まる。やがてその風は、空間の中でしだいしだいにその密度を増し、ついには円盤状の堅い『大気の層』に造り上げられてゆく。」
(櫻部建・ほか,op.cit.,p.27)

この「大気の層」は、漢訳では《風輪》となっています。‥そうです。《五輪塔》と関係があります。つまり、あの《天気輪》は、《異世界》へ跳躍する装置だった?‥

いや、先を焦らないようにしましょうw。。。

こういう短歌があります↓

「黒雲の北上川の橋の上に劫初の風はわがころも吹く」
(『歌稿A』,#734,1919年8月,「北上川第四夜」)

↑「劫初の風」は、新しい《異世界》が誕生することを示すものではないでしょうか?しかし、それにしては、真暗な夜空に「黒雲」が重く垂れ込めて恐ろしげです。悪魔の世界が生み出されるような‥

おそらく、《多世界宇宙》をむりに信じようとすると、こういう形になるのではないかと思います。これが、『春と修羅』以前の段階で、『銀河鉄道の夜』までには、まだ径庭があります。。。

さて、その《風輪》──「円盤状の堅い大気の層」ですが、厚さが1280万`bで、周囲が8×(10の59乗)`b(∴直径2.5×(10の59乗)`b)☆という、とてつもなく巨大で、とてつもなく扁平な円盤形をしています。

☆(注) 櫻部氏にしたがって、原典の1ヨージャナを、8`bとして計算。以下、この換算によります。

つぎに、その《風輪》の中心部の上に、「水の層」《水輪》が形成されます:

「これは、やはりサットヴァ・カルマンのはたらきによって、大気の層の中心部の上空に、しだいに雲が凝集させられ、その雲がやがてはげしい雨となって大気の層の上に降りそそぐと、それがついに積み重なって水の層を成すのである。」
(op.cit.,p.28)

《水輪》の厚さは896万`b、直径962万7600`bで、《風輪》の中心部にだけ集まっていることになります。
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