ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.3


そういうわけで、「八列車」に乗車した可能性は捨て、急行の「二列車」に乗車していると考えます。

「二等室」にいることは詩句に明示されているのですから、賢治は、この区間では、“料金節約”の方針を変えていることは、否定できないのです。したがって、急行を奮発したと考えても、おかしくはないと思います。

なお、この詩には:

. 春と修羅・初版本

03  (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)

のように、車室の軋(きし)る音が、何度も出てきます(3,10,23,31,36,39行目)。これは、もしかすると、寝台車に乗っているからではないでしょうか?

座席の客車に乗っていた「青森挽歌」では、“軋り音”は書かれていませんでした。

二等寝台でゆっくりと休むために、急行列車にしたのでしょうか?‥まだ、当時の列車の編成を調べていないので、確定できませんが、ありそうなこととして記しておきます。


 



さて、つぎに、「噴火湾(ノクターン)」という題名について検討します。

「ノクターン」は、訳語で言うと“夜想曲”。ショパンのノクターン2番(作品9の2)が圧倒的に有名で、賢治が聴いたとすれば、この曲だと思います:画像ファイル:ノクターン

じつは、以前に《ギトンのお部屋》で説明を書いた時には、「噴火湾(ノクターン)」という詩のふんいきが、ショパンのノクターンの明るく安らかな感じとは調和しないような気がして、その疑問を解決できなかったので:

「“ノクターン2番”を聴いてみると、どうしても、この詩の雰囲気に合っているとは、思えないのです。山下クンのノクターンのほうが合ってるくらいです」

などと書きました。

しかし、今回読み直して再考した結果、ショパンのノクターンのふんいきは、これでよいのだと思うようになりました(^^d);←

「噴火湾(ノクターン)」は、明け方の(おそらく)寝台車の、よく眠れない半覚睡のなかで、とりとめのない思索がつづくために、ともすればメランコリックな気持ちを表白した作品と受け取られがちです。

しかし、作者の気分は、じつは、ショパンのノクターンのように‥明け方の透きとおった湾の水面のように‥明るく晴れやかなのです。

この詩の眼目は、「黎明の水明り」の海を、「二つの赤い灯」をともしながら遠ざかってゆく汽船の情景にあるのだと思います。

そういえば‥“ノクターン2番”の途中の、トレモロが続く部分は、水面の細かい波を表しているように感じます。

“夜想曲”という訳語ならば、さまざまな想いの去来する夜の憂愁を思わせるかもしれませんが、作者が、「夜想曲」ではなく「ノクターン」を副題に選んだのは、ショパンのこの静かな明るい曲を聴きながら、おだやかな気持ちで読んでほしいからではないでしょうか?
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