ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.10.4


しかし、その岸辺には──‘青いコスモス’のような亜麻の花が咲き乱れる原野の果て──黒い流れの来歴など識らないかのように、幼い子どもたちが綿毛を吹いては、無心に戯れ合い、飛んでゆく綿毛のように舞いおどっているのです。

恋は新たな生命を──無邪気な命を、絶えることなく生み出してゆく‥それもまた、恋の真実なのです。
恋人たちもまた、黒い流れのほとりで、新たな生命を得たかのように無心に微笑み、さざめき合う──それもまた生命の真実です…

それでは、【下書稿(二)手入れA】に移ります:

. 宗谷(一)

「   宗 谷

 まくろなる流れの岸に
 根株燃すゆふべのけむり
 こらつどひかたみに舞ひて
 たんぽゝの白き毛をふく

 丘の上のスリッパ小屋に
 媼ゐてむすめらに云ふ
 かくてしも畑みな成りて
 あらたなる艱苦ひらくと」

推敲によって、ずいぶん短く刈り込まれてしまいました。

これは、賢治の文語詩一般の変遷の特徴なのですが、どうして、こんなに省略して短くしてしまうのかについては、いまだ諸説あって、未解明です。

ここでは‥、【手入れ@】形とは別に、これはこれで意味をとってみたいと思います。

「まくろなる流れ」が、一行目に来ました。やはり、“暗い流れ”のモチーフが、詩想を導いているようです。
川岸に、開拓農家の夕餉の煙がたなびいています。開墾で掘り起こした樹の「根株」を薪にして、煮炊きをしているのです。
子供たちは、川の近くで、タンポポの毛を吹いて遊んでいます。

原野は、おおかた開墾が済んで、広大な畑地が波うっています。

平和そうな風景ですが、丘の上の粗末な小屋では、一人暮らしの老女が、若い娘たちに言い聞かせます。畑が出来上がったら、これからが、それこそ苦労のし通しなのだぞ、と。

トラクターも何もない時代ですから、広い畑は、草取りをするだけでも、気の遠くなるような重労働なのです。うねを一往復するだけで、半日あるいは一日かかります。

泥炭が流れ込んだ「真黒なる流れ」とともに、北方の開拓地の風情を伝える詩篇として秀逸だと思います。
“恋の苦しみ”というテーマは省かれましたが、開墾→営農という形で、それを「媼」から「むすめら」に語らせることによって‥、単なる経済問題ではなく、人の生きて行くうえでの「艱苦」、そして世代を越えて続く艱難辛苦へと、愁いの想いは広がってゆくようです。

(了)印は、ついていませんが、“刈り込み”によって、比較的よくまとまった例ではないでしょうか。


【73】札幌市 ヘ
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