ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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札幌 藻岩山    


    【73】 札幌市


7.11.1


口語詩「札幌市」は、『春と修羅・第3集』に含まれるもので、作品番号は #1019、1927年3月28日という日付が付いています。

それをどうして、ここで取り上げるかというと、これも、1923年8月のサハリン旅行の帰路のスケッチメモをもとにしたか、その時の記憶に基づいて書いたか、‥ともかくこの旅の印象がもとになっていると思われるからです。

. 札幌市

「  札幌市

 遠くなだれる灰光と
 貨物列車のふるひのなかで
 わたくしは湧きあがるかなしさを
 青い神話のきれにして
 開拓紀念の石碑の下に
 力いっぱい撒いたけれども
 小鳥はそれを啄[ついば]まなかった」
【下書稿(三)】

このように↑、孤独な旅の印象です。
また、「開拓紀念の石碑」と書いてあるのは、札幌駅のすぐ南側、大通り公園・6丁目広場に現在も立っている「開拓紀念碑」(↑テキスト・ファイルの写真参照)と思われます。

そこで、「年譜」を見ますと、宮沢賢治が札幌を訪れたのは、生涯の間に次の4回です:

@1913年5月24日 盛岡中学校修学旅行

A1923年8月1日 サハリン旅行(往路)

B1923年8月9日頃 サハリン旅行(帰路)

C1924年5月20-21日 花巻農学校修学旅行(引率)

しかし、@とCは集団旅行で、上の詩の孤独な印象に合いません。中学生よりは上の年齢の気がします。

また、Cについては、賢治の書いた『復命書』を見ますと、自由時間にも、宮澤教諭には、いつも生徒がおおぜいぞろぞろ付いて歩いたようですから、《開拓紀念公園》で感慨にふけっている余裕はなかったでしょう。

そうすると、AとBのどちらかですが、往路では、普通列車を乗り継いで行ったとすれば(旭川での行動などから、そう推定できます:⇒7.1.4 旅程の推定)、札幌駅停車は、深夜の 23:45-23:55 になるので、該当しません。

したがって、Bと考えなければなりません。
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