ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.8.8


. 春と修羅・初版本

15こんなうるんで秋の雲のとぶ日
16鈴谷平野の荒さんだ山際の燒け跡に
17わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる

↑ここには、賢治の“なじみ”の・そらの風景と、サハリンの荒れ果てた山野との奇妙な併存があります。しかし、その一見荒涼とした“焼かれた原野”の中で、「茨や灌木」で肌を傷つけられ蜂に刺されながら(13-14行目)、「わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる」──まるで、懐かしい知己に出会ったような歓びに浸っているのです。

ゆらゆら揺れているチモシーの穂を見ていると、その楽しげな揺れの向うから、この世ならぬ世界の声が聴こえてくるような、‥立ち去りがたい楽しさとともに、深淵に魂が吸い取られてゆくめまいを覚えるのです。

10うれひや悲しみに対立するものではない
11だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
12ぼくのまはりをとびめぐり
13また茨や灌木にひつかかれた
14わたしのすあしを刺すのです

11行目の「蜂」は、作者の足を刺していることから考えると、ジガバチではないと思います。ジガバチは、ギトンも何度か見かけましたが、刺されたことはありません。人間を刺す蜂ではないと思うのですが‥。

刺す蜂といえば、ありふれているのはミツバチです。しかし、ミツバチも、追い払ったりしなければ、めったに刺すものではありません。ここは、もしかすると蜂ではなくアブか何かかもしれません。

ところで、12行目では「ぼく」という自称が現れます。14行目には、いつもの自称「わたし」に戻っています。

賢治が、「ぼく」という自称を作品中で使うのは、非常に珍しいと思います。いちばん多い自称は「わたくし」、その次は「おれ」ではないでしょうか。

「ぼく」という自称が現れたのは、故郷を離れた草原の風光の中で、いつもの張り詰めた構えを捨て、自己に正直になっているためではないでしょうか。それだけ、ふだん岩手にいる時には、作品を書いている時でも、緊張した構えを解いてはいないのです。

幾重にも重なったカムフラージュや気取りや衒いを、よろいのように着込んでいるのが、賢治のふだんの姿なのではないでしょうか?

しかし、誰ひとりとして知っている人の目が届かない・ここサハリンでは、賢治は、半ズボンから“すあし”を出して、灌木の棘や枝に引っかかるのも構わずに歩き回っているのです。

15こんなうるんで秋の雲のとぶ日
16鈴谷平野の荒さんだ山際の燒け跡に
17わたくしはこんなにたのしくすわつてゐる
18ほんたうにそれらの燒けたとゞまつが
19まつすぐに天に立つて加奈太[カナダ]式に風にゆれ
20また夢よりもたかくのびた白樺が
21青ぞらにわづかの新葉をつけ
22三稜玻璃にもまれ

「鈴谷平野」とは、サハリン南部の大泊(コルサコフ)〜栄浜間の細長い平地を言うようです:画像ファイル:鈴谷山脈 画像ファイル:鈴谷平野

「荒さんだ山際の燒け跡」「それらの燒けたとゞまつ」とあって、人為か自然かは分かりませんが、山火事に嘗め尽くされた森林が、焼け爛れたまま、サハリンの厳しい気候のもとで、無残な姿を曝しています。

しかし、焼けたトドマツの枯樹は、「まつすぐに天に立つて加奈太式に風にゆれ」、
白樺は、高い梢の先端にだけ、ようやく「わづかの新葉をつけ」ています☆

☆(注) このように、宮沢賢治の“ありのままのスケッチ”によって、私たちは、著者の意図を超えて、日本の植民地化によってサハリンの自然に加えられた恐ろしい破壊の爪痕を確認することができます。
なお、トドマツの揺れ方の「カナダ式」は、ニュアンスがいまひとつ不明なので保留にしておきます。
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