ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.7.22
ひょろひょろしたグイマツが「めぐ」り、エゾニュウの花と、白木の柵で囲まれているのは、↓住民の建てた家です:
. 春と修羅・初版本
68こんなに青い白樺の間に
69鉋をかけた立派なうちをたてたので
70これはおれのうちだぞと
71その顔の赤い愉快な百姓が
72井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ
青々とした葉の白樺も点在していて、真新しい家は、このうえなくすてきな自然に取り巻かれているようです。
「鉋をかけた立派なうち」:当時サハリンではまだ、丸木のまま組んで建てたロシア人のログハウスも多かったので、それに対して、製材した木で作った家を称しています。
壁に大きく看板のように姓を書いているのは、作者の言うように、きれいな家を建てた嬉しさからかもしれません。内地にいるときには自分の家を建てられなかった日本人植民者と思われます。
「顔の赤い愉快な百姓」が、じっさいに、家の前に出て来ていたのかどうかは、分かりません。むしろ、作者の想像らしく思われます。
荘厳な光景が次々に展開してきた旅の最後で、「顔の赤い愉快な百姓」が出てくるのは、ちょっと場違いな感じがしますが、
おそらく、63行目までの「火雲」の切れはしの「結婚」とのつながりで、作者は、こんな野原にこじんまりした家を建てて、静かに暮らしたい希望を洩らしているのではないでしょうか。
「青い白樺の間」の白木の「立派なうち」を見て、簡素で素朴で満ち足りた生活に、賢治は、心底から憧れを抱いているのだと思います。
あるいは、人間の感情を拒絶するような原野の真っ只中を走って来たあとで、やっと見慣れた日本風の風景に出会った安心感なのかもしれません。。
ポーランド人のログハウス(サハリン、小沼;日本領時代)
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