ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.7.20
これは、一次資料のあり方にも原因があると思います。
古い錬金術師の著書は、みな非常に謎めいた書き方をしていまして、そのあらすじなどを読んでも、私たちには何のことやら分かりません。
たとえば、ローゼンクロイツ(薔薇十字団)という秘密結社に関係する『化学の結婚』という17世紀の有名な“アルケミー”の著作があるのですが、そのあらすじを引用しても、迷宮に入り込んでゆくだけ──という気がします。
そこで、いま、私たちは、何をしようとしていたのか、もう一度自分の立脚点を確かめる必要があります。
私たちは、“錬金術”を知りたいのではなくて、宮沢賢治が詩作の前提にした“錬金術”に関する知識を問題にしているだけなのです。
宮沢賢治は、“ニュートン文書のオークション”以前ですから、“アルケミー”について入手できる知識は限られていたはずです。おそらく、化学の教科書の最初のほうや、通俗科学読み物の一節で触れられている程度の、ごく一般的な知識のみでしょう。
『化学の結婚』についても、書名は知っていたと思われますが、内容を詳しく知っていたとは思えません。
そこで、私たちも、ごく一般的・通俗的な知識を手に入れるだけでよいのですが‥それが、けっこう難しかったりします....
まず、Wikipedia の『錬金術』の項目から拾ってみますと(一部要約):
「生命の根元たる“生命のエリクシール”を得ること、つまりは不老不死の達成こそが、錬金術の究極の目的であった。〔…〕
“生命のエリクシール”は、人体を永遠不滅に変えて不老不死を得ることができるとされ、この場合は霊薬、エリクサーとも呼ばれる。〔…〕
錬金術とは、一般の物質を“完全な”物質に変化・精錬しようとする技術のことであり、さらには人間の霊魂をも、“完全な”霊魂に変性しようという意味を持つこともあった。」
そこで、“化学の結婚”ですが‥、ここでは、“化学の結婚”と錬金術の関係が書いてある信用できそうなサイトを探して、見てみることにします:⇒賢者の石
「“賢者の石”は、様々な別名がある。“万能薬(エリクサー)”、“錬金薬液(エリクシル)”と呼ばれることもある。〔…〕
一般に“賢者の石”は、“哲学者の水銀”と“哲学者の硫黄”の結合、化学の結婚によって得られるとも考えられた。〔…〕
この水銀と硫黄の結婚は、“哲学者の卵”と呼ばれる密閉した容器の中で行われる。この結合の作業は、世界創世の雛形とも考えられた。」
「水銀と硫黄の結婚」によって、“生命のエリクシール”を得る、というのは、おおざっぱに言うと、対立するものの化学反応によって、なにか“永遠の生命”のようなものが生み出される──というくらいに理解しておけばよいのではないかと思います。
そういえば、宮沢賢治の詩の中には、硫黄も水銀も、かなりしばしば登場するんですよね。それは、錬金術に対する関心の現れだと思います。
そうすると、賢治もまた、「結婚」という言葉を、“硫黄”と“水銀”、あるいは対立するものの反応・結合によって、エリクシル──“永遠の生命”が発生する、という意味で使っているかもしれません。
. 春と修羅・初版本
60こんなすてきな瑪瑙の天蓋(キヤノピー)
61その下ではぼろぼろの火雲が燃えて
62一きれはもう錬金の過程を了へ
63いまにも結婚しさうにみえる
ひときれの雲は、夕日に照り映えて輝きつくした最高の灼熱状態に達して、「いまにも結婚しさうにみえる」──“永遠の生命”を産み出そうとしている、ということになります。
ただ、賢治は、↑この「結婚」という言葉に、錬金術の意味だけを負わせているわけではないと思います。前のほうに、ベッドを飾る「天蓋(キヤノピー)」が出ていましたから、やはり、性的結合による灼熱、豊饒といったイメージを含ませているのだと思います。
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