ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.11


. 春と修羅・初版本

25 (こゝいらの樺の木は
26  焼けた野原から生えたので
27  みんな大乘風の考をもつてゐる)
28にせものの大乘居士どもをみんな灼け

具体的な対象は誰であれ、この「にせものの大乘居士どもをみんな灼け」という呪詛、また、樺の木たちが持っている「大乘風の考」の意味は、社会的エリートや“ひとかどの人物たち”の表面的・偽善的な宗教とは、対立する方向を持っていたと言えるでしょう。

それは、虐げられた者にこそ、真の信仰につながるものを見出そうとする方向です。





賢治が具体的に書いたものの中では、たとえば、〔手紙二〕☆に、そのような方向が見出せます:⇒〔手紙二〕

☆(注) 〔手紙二〕の制作年代については、1918年頃〜1922年頃らしいということしか分かりません。

「ところがこの河岸(かはぎし)の群(むれ)の中にビンズマティーと云ふ一人のいやしい職業の女がをりました。大王の問をみんなが口々に相伝へて云ってゐるのをきいて『わたくしは自分の肉を売って生きてゐるいやしい女である。けれども、今、私のやうないやしいものでさへできる、まことのちからの、大きいことを王様にお目にかけやう』と云ひながらまごころこめて河にいのりました。

 すると、ああ、ガンジス河、幅一里にも近い大きな水の流れは、みんなの目の前で、たちまちたけりくるってさかさまにながれました。
    〔…〕
 『陛下よ、私のこの河をさかさまにながれさせたのは、まことの力によるのでございます』

 『でもそちのやうに不義で、みだらで、罪深く、ばかものを生けどってくらしてゐるものに、どうしてまことの力があるのか』
 『陛下よ、全くおっしゃるとほりでございます。わたくしは畜生同然の身分でございますが、私のやうなものにさへまことの力はこのやうにおほきくはたらきます』

 『ではそのまことの力とはどんなものかおれのまへで話してみよ』
 『陛下よ。私は私を買って下さるお方には、おなじくつかへます。武士族の尊いお方をも、いやしい穢多をもひとしくうやまひます。ひとりをたっとびひとりをいやしみません。陛下よ、このまことのこころが今日ガンジス河をさかさまにながれさせたわけでございます』」

さて、ともかく、28行目で溜めていた“憤り”が爆発したことは、この行を境として、以後は、文章の調子が変わることからも分かります:

. 春と修羅・初版本

29太陽もすこし青ざめて
30山脈の縮れた白い雲の上にかかり
31列車の窓の稜のひととこが
32プリズムになつて日光を反射し
33草地に投げられたスペクトル

28行目までの昂ぶった調子は、急に影をひそめて、やや疲労したような、しかし、鬱憤を晴らした後のような爽快な気分が感じられます。

風景の描きかたも、いままでの“強烈さ”“異様さ”は消えて、ゆったりとした大らかなものになっています。より現実的な描写になっていると言ってもよいと思います。

太陽は、「すこし青ざめて」──やや輝きを失ってはいますが、遠くの山脈にかかった午後の雲の上から静かに照らしています。
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