ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.5


【印刷用原稿】にはあったのですから、これは、あとで英文の活字を組むつもりで空けておいて、忘れたか、英語の確認が間に合わなかったかで、組みそこなって、空行のまま印刷されてしまったのではないでしょうか?

そこで、【印刷用原稿】を少し直して空行を補えば:

14Van[']t Hoff の雲の白髪の崇高さ
15崖にならぶものは聖白樺(セントペチユラアルバ)
    (O, Your reverence! Sacred St. Betula Alba!)
[訳](おお、尊師!神聖なる聖ベチュラ・アルバよ!)

となります。

15行目の次の行は、なぜ「聖ベチュラ・アルバ」を、英語で繰り返しているのでしょうか?
もしかすると、具体的に、賢治が接したことのある神父か牧師に向かって呼びかけているのかもしれません。盛岡浸礼教会のヘンリー・タッピング牧師(バプティスト派)ならば、賢治が盛岡高農を卒業した1918年に61歳で、白髪だったと思われますから、該当しそうです。‥ともあれ未調査です。

. 春と修羅・初版本

16青びかり野はらをよぎる細流
17それはツンドラを截り
18   (光るのは電しんばしらの碍子)

作者は、草と潅木の荒野を「ツンドラ」と言っていますが、もちろん、サハリンの原野はツンドラではありません。

ツンドラに生える植物は、私たちの目にするもので言えば、日本アルプスや大雪山系の高山帯の岩陰に生息するものと似ています★。さきに見た「ポラリスやなぎ」もその一つです。
われわれの見慣れた草や木とは、ずいぶん異なった植物です。

★(注) これらは、氷河期に日本列島まで拡がって来た周北極圏植物が、高山帯に遺存して生息しているものです。

宮澤賢治が、もし早逝しないで、戦争後に、今度はサハリンよりもっと北のカムチャツカや、アラスカに旅行して、本物のツンドラを見たとしたら、どんな作品を書いてくれただろう‥‥と思うと残念でなりません:⇒画像ファイル:ツンドラ

賢治が見ることのできたものは、ツンドラの雰囲気が多少匂う程度の土地にすぎなかったのですが、それでも彼は想像力を駆使して、『氷河鼠の毛皮』をはじめとする童話作品、‥『春の修羅』の中では、【第8章】の「自由画検定委員」など、‘北方感覚’あふれる描写を生み出したのでした。

18行目の「光るのは電しんばしらの碍子」という文句も、

「電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね
 ベーリング市までつづくとおもはれる
 すみわたる海蒼(かいさう)の天と」

という【第8章】「一本木野」の一節を想起させます。“ベーリング鉄道”“ベーリング市”などは、このサハリン旅行で着想したのかもしれません。



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