ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.7.4


. 春と修羅・初版本

10おお満艦飾のこのえぞにふの花
11月光いろのかんざしは
12すなほなコロボツクルのです
13  (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

コロボックルは、アイヌの伝説に登場する小人の神様(妖精)。フキで葺いた竪穴住居に住んでいて、すばしこく、猟が巧みです。鹿や魚などの獲物を、アイヌの家の窓からこっそり差し入れますが、決して姿は見せません:画像ファイル:コロボックル

ある時、獲物を差し入れてきた手があまりにもきれいだったので、アイヌの若者がコロボックルをつかんで引き込み裸にしたところ、非常に美しい娘でした。ところが、コロボックル族は、この狼藉に怒って、アイヌに呪いをかけて、いなくなってしまったと言います。
コロボックルの呪いの言葉は、“おまえたちは長生きしない”とか、“魚や獣が取れなくなる”とか、伝わっている地域によっていろいろです。

エゾニュウの花を指して、「素直なコロボックル」のカンザシだと言っているのは、無償で人間に奉仕し、人間が悪巧みを企てるとかんたんにやられてしまう純真なコロボックルを、エゾニュウの素朴な花穂に見ているのではないでしょうか。

14Van[']t Hoff の雲の白髪の崇高さ
15崖にならぶものは聖白樺(セントペチユラアルバ)

16青びかり野はらをよぎる細流

ファント・ホッフ(van't Hoff 1852-1911)は、オランダ出身の化学者で、化学熱力学の分野で大きな業績を挙げました。
1886年、「稀薄溶液の浸透圧は絶対温度と溶液のモル濃度に比例する」というファントホッフの法則を発見。浸透圧を表す式(ファントホッフの式)が理想気体の状態方程式と同じ形であることを示す。この業績により、1901年最初のノーベル化学賞受賞者となった…

  P=n/V・RT

↑この式(ファントホッフの式)を見て、あ、なるほどと思った方には説明は要らないのですが‥

要するに、これは、植物がどうやって根から、高い梢の上まで水を吸い上げるか、あるいは、植物細胞による物質運搬のしくみを説明する基本的な式なのです。"P" は浸透圧、つまり細胞が水を吸収する(あるいは排出する)力です。"n/V" は溶液のモル濃度、"R" は気体定数、"T"は絶対温度。どうしてここに気体定数が出てくるのか、はっきり言ってギトンには分かりませんw

しかし、まったく無機的な大気現象と、有機的な生命現象の相同性を思わせるような不思議な式ではあります‥

ファント・ホッフは、肖像画を見ると、このとおりごリッパなプロフェッソルでして:画像ファイル:ファント・ホッフ 「白髪の崇高さ」かもしれません。

「聖白樺(セントペチユラアルバ)」は、ちょっと問題があります。聖=セント(saint)は、いいとして、シラカバ(シラカンバ)の学名は、ベチュラ・アルバではなく、Betula platyphylla var.japonica なのです。

英語版ウィキを見ると‥:"Betula alba" は、オウシュウシラカンバ(Betula pendula)、またはヨーロッパダケカンバ(Betula pubescens)の“却下された学名だ”と書いてあります。正式に採用されなかったんですね。alba はラテン語で“白い”の意味です。

そういうわけで、正式の学名ではないんですが、賢治としては、白樺(シラカンパ)を、ヨーロッパ風に "Betula alba" と呼んでいるのだと思います。

15行目の次に、1行あいているのですが、【印刷用原稿】では、ここに:

    (O, My reverence! Sacred St. Betula Alba!)

という行がありました。"My reverence!" は意味不明ですが、これを "Your reverence!" に直せば、この行は:

[訳](おお、尊師!神聖なる聖ベチュラ・アルバよ!)

という意味になります。
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