ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.34


. 春と修羅・初版本

103わたくしの片つ方のあたまは痛く
104遠くなつた榮濱の屋根はひらめき
105鳥はただ一羽硝子笛を吹いて
106玉髄の雲に漂つていく
107町やはとばのきららかさ

「わたくしの片つ方のあたまは痛く」──偏頭痛は、情緒に流れようとする感情と、啓示の意味の感得に突き進む意識とが、鬩ぎ合っていることを示します。

「遠くなつた榮濱」と言っていますから、駅のある栄浜集落からだんだん離れて、遠くに来ていることが分かります。
舟が出て行った跡のあった浜辺は、波止場とは別の場所であることが分かります。

105行目からは、こんどは鳥が1羽だけやって来ました。

77行目からの全体の風景を考えると、海の上で、カモメのような水鳥が、たくさん舞っているのではないでしょうか。そこから、ときどき1羽、‥3羽、‥また1羽と、作者のいる浜の方へやって来ては、また戻って行くのだと思います。

「硝子笛」とは、どんな笛でしょうか?
‥まず思いつくのは、有名な喜多川歌麿の浮世絵「ビードロを吹く娘」です:画像ファイル:硝子笛

ビードロ(vidro)は、ポルトガル語でガラスのことだそうです。日本でも、もとは、ガラスの器具や器をみなビードロと言ったようです。
歌麿の浮世絵で女の人が吹いているのは、ポッペン(地方により、ポッピン、チャンポンなどとも)というガラスの玩具です。底が薄いガラスになっていて、弾力があるので、息を吹き込むと、その薄いガラス壁が外に膨らんでポコンと鳴り、咥えている口を離すと、凹んでペコンと鳴ります。

浮世絵好きの賢治のことですから、ビードロ(ポッペン)を想定していることはありえます。しかし、ポッペンは、笛とは少し違いますね。たしかに、ポコンという鳴き声を出す鳥はいますが、水鳥ではありません。この詩行のイメージに合わない感じがします。

そこで次に、本当にガラス製の笛──フルートは、ないかどうか探してみると、ヨーロッパでは、19世紀から“クリスタル・フルート”というものがあるのですね。
石英ガラスでできていますが、フルートやピッコロと同じ構造で、いろいろな音程や調性のものがあります。ちょっと音を聴いてみてください:画像ファイル:硝子笛、クリスタル・フルート

金属フルートより渋い音色ですね。尺八に似ていませんか?ガラスの瓶に上から息を吹き込んだ時の音に似ていますw
見た目は、透明でスマートな形で、たしかにこの詩に合っていますが、音がいまいちかもしれません。

そこで‥‥ガラス製の楽器というと、もうひとつ思いつくのが、グラス・ハーモニカです。小学生やアメリカのカントリー・シンガーが吹いているハーモニカとは、まったく別の楽器です。
↑画像ファイルの拡大写真を見ていただくと分かるように、ガラスでできた・いろいろな大きさのコップのようなものを並べて、いっしょにぐるぐる回転しながら、水で濡らした指でさすって音を出します。
よく手品でやっているグラス・ハープ(いろいろな量の水を入れたコップをたくさん並べて、濡れた手で擦って音を出すもの)と、原理は同じです。

グラス・ハーモニカは、ヨーロッパでは昔からある・れっきとした楽器でして、モーツァルトは、グラス・ハーモニカのための曲をいくつか書いているほどです。

聴いて分かるように、とても神秘的な音を出します。ただ、残念ながらこれは“笛”ではありません。

こうしていろいろ考えてみると、‥‥「硝子笛」は、じっさいにある楽器というよりも、賢治が想像力で創り出した架空の笛だと思ったほうがいいのかもしれません。見た目はクリスタル・フルートで、音はグラス・ハーモニカ‥‥といったあたりでしょうか。。

「玉髄」は、白くて軟らかい石英系の鉱物:画像ファイル:玉髄

いまは、1羽でやって来た鳥が、軟らかそうな曖昧な雲を背景に、透き通った音色で歌いながらゆらゆらと漂流して行きます。

町の屋根と波止場の船が、遠くで陽を受けてきらきら輝いています。
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