ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.31


むしろ、賢治が、ここで“いびつな十字架”の啓示によって、一挙にキリスト教信仰に目覚めた──などということはありえないでしょう。なぜなら、この前後の詩句には、なんらそのような急激な展開を思わせる感情の起伏は感じられないからです。

しかし、しずかな変化──波が打ち寄せるように、しだいしだいに感情が洗われて浄化されてゆくようすは、感じられると思います。

さきほど指摘しておいたように、舟は、《異界》あるいは“死者の世界”との交通を意味します。今朝舟が出て行った跡は、‥今朝までトシがここにいて、“十字架”の印──それは、波と風で崩されていびつな形になってしまっているにせよ──を残して去って行ったのかもしれないのです。。。 賢治は、そう感じたのではないでしょうか?

そして、《異界》と交通する使者である鳥──カモメたちは、まだ近くで揺れるように飛んでいるのです。

トシの生前、兄は、トシのキリスト教風の信仰を見て「つめたくわら」いましたが、それでも、「とし子の特性」を象徴するうららかな海は、淡く碧く、トシが去って行ったかもしれない水平線へと続いています。

ともかく、トシの残した“十字架”は、啓示として作者の眼に捉えられました。作者は、その意味をさぐるように見つめています:

. 春と修羅・初版本

88  (貝がひときれ砂にうづもれ
89   白いそのふちばかり出てゐる)
90やうやく乾いたばかりのこまかな砂が
91この十字架の刻みのなかをながれ
92いまはもうどんどん流れてゐる





十字架の形のくぼみに、風が乾いた砂を吹き込んで、埋めていこうとしています。砂の流れ込む勢いは、だんだん速くなります。

作者の足もとには、一枚の貝殻が砂に埋もれ、わずかに縁(ふち)だけを覗かせています。

作者をとらえたかにみえた“啓示”の意味は、風景の奥深く隠されてしまっているようです。作者は、それを読み取ることができません。

“十字架”に流れ込む砂粒は、どう築き上げても刻んでも、すぐに崩れてしまう取りとめのない思考を表しているかのようです。

しかし、逆に言えば、砂の上にわずかに覗いている「白いそのふち」は、その下に確実に貝殻が埋もれていることを表しています。『サガレンと八月』には、語り手の「農林学校の助手」が、海岸で、ヒトデに食われた穴の残った貝殻などを見つけて標本採取しているさまが描かれていますから、作者は、“うづもれた貝殻”に関心を持っているのです。
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