ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.6.16


また、台北の故宮博物院には、「唅蝉(かんぜん)」というセミの形に彫った玉(見たところ翡翠)が展示されているそうです:台湾・故宮博物院

説明を見ますと:

「唅蝉は、蝉の形をした玉彫刻です。玉蝉とも呼ばれています。古代中国で死者の口に入れられた葬玉です。古代の中国では、死者の九竅(きゅうきょう、9つの穴=目・耳・鼻・口・後陰・前陰)に葬玉を入れていました。玉に対する呪術的信仰から、玉が肉体の腐敗を防ぐと考えられていました。」

さて、以上を見ますと、「唅」は、死者と通信するというようなシャマニズム的な意味を持った儀礼ではなさそうです。

おそらく、日本の古代儀礼で言うと“屈葬”にあたるような、死者の祟りを防ぐための儀礼(死者の魂が出て来ないように穴をふさぐ)に由来するのだと思います。それが、のちには、死体の腐敗を防ぐとか、食事の“かたち”を与えて死出の旅の慰めとする、といった意味が付加されて、緩和されて行ったものではないでしょうか。

そういうわけで、ギトンは、鈴木氏以上に、賢治の「貝殻を口に含み」に儀礼を読み取る見方には、賛成できないです。

むしろ、これは、(深読みするならば)「波できれいにみがかれた‥貝殻」に、生命の生々流転を感じながら入眠しようとする詩的な行為ではないかと思います。

. 春と修羅・初版本

042白い片岩類の小砂利に倒れ
043波できれいにみがかれた
044ひときれの貝殻を口に含み
045わたくしはしばらくねむらうとおもふ
046なぜならさつきあの熟した黒い實のついた
047まつ青なこけももの上等の敷物(カーペット)と
048おほきな赤いはまばらの花と
049不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかで
050サガレンの朝の妖精にやつた
051透明なわたくしのエネルギーを
052いまこれらの濤のおとや
053しめつたにほひのいい風や
054雲のひかりから恢復しなけばならないから

「こけもも」は、小さな赤い実をジャムなどにするベリーで、花は直径5ミリ程度、草よりも低く地面を覆っていますが、じつはツツジ科の木なのです。本州では高山に行かないと見られない植物ですが、サハリンでは平地に生えています:画像ファイル:コケモモ

あとで【69】「樺太鉄道」で述べますが、コケモモは、サハリンでは先住民の食料であり、日本人も、ジュースやお菓子を造って、おみやげにしていました。

たしかに、コケモモの実は黒く、絨緞のように地面を這う植物体は、細かい葉をつけて青々としています。

カーペットの上で花々に囲まれて‥‥すっかりエネルギーを吸い取られるまで「朝の妖精」と過ごした時間は、単に自然の草花を眺めていただけには見えないのです。。。

「透明なわたくしのエネルギーを〔…〕恢復しなけ[れ]ばならない」と言っていることにも注目しましょう。

作者は、「朝の妖精」との“交歓”によって、自分の中が濁ってしまったと感じています。賢治は、性行為や性欲に対しては、つねに、そんな負のイメージを持っていたのだと思います。

「サガレン」は、サハリンに同じ。“サハリン”という名前はもともと満州語で☆、漢字では「薩哈嗹」と書いたので、日本では、これを「サガレン」と読んだのです。

☆(注) ⇒:7.1.1 樺太(サハリン)の歴史。満州語の発音は分かりませんが、イエズス会士らは、ローマ字で "Sagalien" と表記しています。
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