ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.6.9
ベニバナヤマシャクヤクは、賢治の時代には、小岩井だけでなく、もっと広い範囲で生育していたはずです。したがって、賢治は、この花を盛岡周辺で見たことがあったに違いありません。
なお、さきほど見た「ハマナス」のほうは、三陸海岸にもありますから、1917年7月の《東海岸視察旅行》などの際に、賢治は見ていると思います。
以上から‥‥、「牡丹(ピオネア)のやうにみえる/おほきなはまばらの花だ」と言っているのは、八重咲きの栽培種ボタンよりも、ベニバナヤマシャクヤクなど自生種のピオネアを念頭においている──と考えれば、納得がいきます。
. 春と修羅・初版本
09しづくのなかに朝顔が咲いてゐる
10モーニンググローリのそのグローリ
〔…〕
21朝顔よりはむしろ牡丹(ピオネア)のやうにみえる
22おほきなはまばらの花だ
23まつ赤な朝のはまなすの花です
さきほど9-10行目で見ていたのは、たしかに、アサガオかハマヒルガオなどのモーニング・グローリの花だと思います☆
☆(注) アサガオなどのモーニング・グローリと、ハマナスとを、見間違うことはないと思います。花がまったく違いますし、モーニング・グローリは草ですが、ハマナスは木(灌木)です。
しかし、21行目との間には、荷馬車の若者との再会が書かれ、それが途中で途切れています。つまり、その間には、(何があったか伏せられた)時間の経過があるのです。
そして、21行目以降で見ているのは、アサガオのような清楚な草花ではなく、花が大きくて艶やかなハマナスなのです。
「朝顔よりはむしろ牡丹(ピオネア)のやうにみえる」という言い方に、なにかが隠されています。その片鱗は、次の数行に窺うことができます:
. 春と修羅・初版本
24 ああこれらのするどい花のにほひは
25 もうどうしても 妖精のしわざだ
26 無數の藍いろの蝶をもたらし
27 またちいさな黄金の槍の穂
28 軟玉の花瓶や青い簾[すだれ]
つまり、「するどい花のにほひ」「妖精のしわざ」という表現のあと、作者は、《異界》視のような夢幻の世界に引き込まれていきます。
「藍いろの蝶」「黄金の槍の穂」は、目の前の蝶やイネ科の草の穂がそう見えるのかもしれませんが、いずれにしろ恍惚境です。
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