ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.6.5
. 春と修羅・初版本
013またこの若者のひとのよさは
014わたくしがさつきあのがらんとした町かどで
015濱のいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時
016そつちだらう、向ふには行つたことがないからと
017さう云つたことでもよくわかる
018いまわたくしを親切なよこ目でみて
019(その小さなレンズには
020 たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)
荷馬車の「若者」は、海岸まで賢治を乗せて来てくれたのか、徒歩で先に行った賢治の後を追って来たのかは分かりませんが、「いまわたくしを親切なよこ目でみて」→どうだい、いいところだろ?‥と言いたげです。
古い写真を見ますと、栄浜はニシン漁が行われていたようですが、ふだんは「がらんとした」寂れた村だったのではないかと思います:古写真:栄浜 画像ファイル:栄浜のニシン漁
その‘町’角で、「濱のいちばん賑やかなとこはどこですか」という賢治の質問は、場違いなように思われます。にぎやかな所などどこにもないと思われるからですw
しかし、賢治に尋ねられた若者は、「そっちだらう」と、自分がこれから行こうとする場所を教え、「向ふには行つたことがない」と言って、波止場(東海岸)のほうへ行っても人がいなくてさびしいことを、仄めかしているのです。
つまり、若者の「人の良さ」とは、単に気さくで親切だというだけでなく、
人はいなくても野花が賑やかに咲く風光明媚な浜の良さを知っていて、賢治に教えてくれた点にあるのだと思います。
この会話からも、作者は、到着した8月3日には浜に出ておらず、翌朝はじめて来たことが分かります。
019(その小さなレンズには
020 たしか樺太の白い雲もうつつてゐる)
「その小さなレンズ」は、青年の目ですが、賢治が人(あるいは動物)の目に映るけしきを述べるのは、相手に同情を感じているときだと思います。たとえば、「小岩井農場・パート3」には:
「馬は拂ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
(おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰氣にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……」
とありました。年とって田舎の農場に払い下げられたハックニー(高級馬種)に対して、「おれはまつたくたまらないのだ」というほどの同情を向けています。
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