ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.13


. 春と修羅・初版本

46(おヽ(オー)おまへ(ヅウ) せわしい(アイリーガー)みちづれよ(ゲゼルレ)
47 どうかここから(アイレドツホニヒト)急いで(フオン)去らないでくれ(デヤ ステルレ)

【原 文】
O du eiliger Geselle,
Eile doch nicht von der Stelle!

【宮沢賢治の訳】
おヽおまへ せわしいみちづれよ
どうかここから急いで去らないでくれ

【ギトンの逐語訳】
おお、きみ、せわしい若者よ、
せわしくその場を去ってゆくなよ!

《水の周遊》からの引用部分ですが、↑このように並べて見ると、賢治の訳語には特徴があるのが分かります。

まず、1行目の「みちづれ」という訳語です。原語の Geselle(発音:ゲゼレ)ですが、独和辞典では、つぎのようになっています:

「Geselle [男性名詞] 1(女性は Gesellin) a) (中世以来の手工業の)職人(見習い期間を終え試験に合格した者)b) 若者:Er ist ein lustiger (roher) 〜, 彼は愉快な(無作法な)やつだ.2 仲間,同僚;道づれ.」

たしかに「道づれ」という訳語はありますが、あまり一般的ではありません。「仲間」と訳すのがふつうですし、ここでは、「お若いの」「やつ」くらいの軽い意味でしょう。

しかも、この詩では、通り過ぎてゆく相手に向かって言うのですから、「道づれ」は、おかしいのです。

しかし、賢治がここであえて「みちづれ」と訳しているのは、なにか特別な意味があるのではないでしょうか?
ただちに想起されるのは、「無声慟哭」の:

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが」

という行です。この「せわしいみちづれ」とは、妹のトシでしょうか?

しかし、注意しなければならないのは、男性名詞になっていることから分かるように、Geselle と言えば男なのです。「若者」と言っても、若い男だけです。女なら Gesellin と言います。「仲間;道づれ」の意味のときも、ふつうは男性のみを指します☆

☆(注) 賢治は、"Geselle" が男性だということを、強く意識していたと思われるのです。というのは、賢治は、この文句 "O du eiliger Geselle,/ Eile doch nicht von der Stelle!" を、晩年に至るまで意識していたらしく、『三原三部手帳』と『兄妹像手帳』には、この文句を落書きとして書き付けている頁があるのですが、そこでも、"eiliger" という男性形(ドイツ語では、名詞にかかる形容詞の語尾で性を判別する)を、つねに誤りなく書いているからです。『新校本全集』第13巻(上)本文篇,pp.109,395.参照。

そうすると、トシではないのでしょうか?‥“去って行った若い男”とすれば、保阪嘉内を意識しているかもしれません。

トシなのか?嘉内なのか?‥かんたんに、どちらかには決められない気がします。

つぎに、2行目の "von der Stelle"(発音:フォン・デァ・シュテレ) にも問題があります。
賢治は、「ここから急いで去らないでくれ」と訳していますが、「ここから」は蛇足なのです。これはイディオムで、

・nicht von der Stelle weichen: その場を動かない,あとへ退かない。
・sich nicht von der Stelle ruehren (bewegen): その場を動かない。

のように使います。
単に、「急いで去らないでくれ」と訳せばよいのですが、あえて "von der Stelle" を訳すならば、「ここから」ではなく「そこから」「その場から」でしょう。

そうすると、これも、賢治としては、意味があって「ここから」にしているかもしれません。
おそらく、相手を引き止める気持を強調しているのだと思います。
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