ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.4.9


やがて、

「殖民地風の官舎の一ならびや旭川中学校」

未開地には不釣合いなほど威厳のある堂々たる建築物群☆が現れます。

☆(注) 当時の絵葉書などの写真を見ても、また、他のサイトに出ている・旭川の方が書かれた当時の街路図などを見ても、このあたりに官舎がいくつも並んでいたとは思えないのです。「一ならび」は、賢治による風景の“モディファイ”かもしれません。

これに続けて:

「馬車の屋根は黄と赤の縞で
 もうほんたうにジプシイらしく
 こんな小馬車を
 誰がほしくないと云はうか。


「誰がほしくないと云はうか」は、ギトンには奇妙な感触を与えます。軽く褒めた言葉なのですが、すぐ前の「殖民地風の官舎の一ならび」から続いていると、ただごとではありません‥
地元民の「ジプシイ」風の「小馬車」など、かんたんに奪い取られてしまいそうです。

このように、この詩は、終始、一面において、「殖民地風」の景観を繰り広げ、讃美し続けます。それはあたかも、北海道などよりも、もっと外地の「殖民地」進出を、ここから透視し、讃美するかのようです。しかし、この“讃歌”は、作者によって周到に意図されたものです。

この“讃歌”は、最後に、「白い歯をむいて笑ってゐる」馬上の人という奇妙な光景に出会った後、突然途切れてしまいます。

この原稿は、けっきょく生前には発表されなかったので、賢治が、この終結のまま完結させる考えだったかどうかは、分かりません。
このままでは、目的地に農事試験場が無かったという“オチ”を知らない読者には、何のことか分からないでしょう。

しかし、いまだ発表を考えていない草稿だとすれば、作者自身にとっては、“オチ”は明らかです。

「殖民地」風景の讃美は、さいごに挫折する‥あてがはずれて、呆けてしまう。それが、この詩の主張する意味だと思います。

この詩は、いわば、“隠された植民地批判”なのです。


【67】宗谷挽歌 ヘ
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