ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.1.10


. 春と修羅・初版本

33そこらは青い孔雀のはねでいつぱい
34眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち
35車室の五つの電燈は
36いよいよつめたく液化され

「眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち」とは、薄暗くてぼんやりとした車内のようす。「真鍮」は、黄色い金属(合金)です。
昔の客車の電灯は、黄色っぽい弱い光で、たいへん暗かったのです。しかも夜間は、睡眠を妨げないように電圧を落として、さらに暗くしています。
その薄暗い闇の中に、「青い孔雀のはね」がたくさん漂っているように見えます。クジャクの羽は、人間の瞳のような青い文様があって、羽を見ているというより、羽に自分が見つめられているような錯覚にとらわれます:画像ファイル:クジャク

それは、高農時代に、保阪嘉内との短歌のやり取りの中で抱かれた‘大空の青い眼’のモチーフ☆につながるものだと思います。離れた処から、心の中をじっと見つめている監視の眼──“もうひとりの自分”の眼──なのです。

☆(注) 「大空はわれを見つめる、これはまた、おそろしいかなその青い眼が、」「うっかりと嘘言(ウソ)をいひたり七月の青空の眼の見てゐぬ暇に」(嘉内)。菅原千恵子『宮沢賢治の青春』p.56.

そうした‘自分の監視の目’を意識しながら、作者は、

37(考へださなければならないことを
38 わたくしはいたみやつかれから
39 なるべくおもひださうとしない)

と自省します。他の乗客のように睡眠に入ってよい時間と状況なのですが、作者は眠れないのです。眠れずに、作者の中では、さまざまな気持ちや考えが浮かんでは、互いに激しく争い、せめぎ合います。

‥むしろ、作者は、疲れていて眠りたいけれども眠らないで、とことん考えなければならないことがあるのだ──と言うのです。
故郷に居れば、毎日の仕事や、家族、生徒たちへの配慮に忙しく、以前のように、自己の中に沈潜して考え尽くす余裕は無かったにちがいありません。夜行列車の中で独りになった今こそは、大切なことを思い出し、ここで考え尽くさなければいけないと、作者は思うのです。

しかし、その「考へださなければならないこと」が何だったのかも、まだ作者には浮かんで来ません‥

40今日のひるすぎなら
41けはしく光る雲のしたで
42まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを
43ばかのやうに引つぱつたりついたりした
44おれはその黄いろな服を着た隊長だ
45だから睡いのはしかたない

 


きのう、出発する前の昼間に、農学校で生徒たちを指導した実習の様子が思い出されます。
「黄いろな服」は、学校の実習服です。実習場の水田に、一段低い水路から、手動ポンプで揚水しているようです。水田は6反歩(6000平方メートル:ex.100m×60m)ありましたから、気の遠くなる作業です。おまけにポンプが古くて、力をかけたわりには水が上がらないのでしょう。

「けはしく光る雲」は、【印刷用原稿】では、「いたいたしい雲」でした。「まつたく」「ばかのやうに」とも言っています。昨日の実習は、ことに力を使ったので、疲労しているのです☆

☆(注) 水田実習では、とくに、水を確保するのに苦労したようです。稗貫農学校の実習水田は低地にあったので、それほど苦労が無かったのですが、1923年4月に郊外の高台に移転した花巻農学校では、実習田も高台で用水の便が悪く、付近の農家と水の取り合いになっていたようです。同僚教諭の堀籠文之進氏によると:「何しろ学校の水田は、高台で下の方では、いつも水が足りなくてカンバツ気味のところなのです。夜中にこっそりと水引きに行くのです。昼は水番人がいて誰が水引きに来たかよく見えるので、夜中に上の方まで行って水を引くのです。〔…〕何しろ農家なら、深夜眠らないで水引きしても、それを口実に翌日の昼ゆっくり寝ておられるから何でもないのですが、わたしたちは、そうはゆきません。昼は昼で授業しなければならないのですから、とても辛いもんでした。」佐藤成『証言 宮沢賢治先生』,p.215.
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