ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.5.7


しかし、それにしても賢治は:

. 春と修羅・初版本

47  そこからたまたま千鳥が飛べば
48  それを尊[みこと]のみたまとおもひ

という言い方をしていて、白い鳥がヤマトタケルの霊だとは思っていません。たまたま飛んだチドリを、「おきさきたち」が、霊と思いこんだと言っているのです。

自分の亡き妹に関しては、たまたま見た白い鳥を、「死んだわたくしのいもうとだ」などと、なかば信じてしまうのに、有名な記紀神話に対しては“科学的理性”をつらぬいているのが、注目されると思います★

★(注) 宮澤賢治は、社会全体がナショナリズムに回帰する以前から、体質として皇国観念には馴染まなかったのだと思います。晩年に東北の民間信仰に関心を示すようになるのも、柳田國男や佐々木喜善が国際語エスペラントに入れ込んだのと同様に、一種のインターナショナリズムの現れだと思うのです。

ヤマトタケルの霊の鳥が飛んで行った先に最後に造られた陵墓の名前:「白鳥の御陵」は、ちょっと示唆的かもしれません。
そこから、賢治がハクチョウを見たわけではなく、ヤマトタケル伝説の鳥はチドリだと思っていたのに、サハリンの《白鳥湖》を目指した理由が、分かるからです。。。

51清原がわらつて立つてゐる
52(日に灼けて光つてゐるほんたうの農村のこども
53 その菩薩ふうのあたまの容(かたち)はガンダーラから來た)

ガンダーラの仏像は、ギリシャ彫刻の影響が強いためでしょうか、人間の肉体の温かみを感じさせます:画像ファイル:ガンダーラ仏

仏像製作も草創期で、まだあまり様式化されていないので、ひとつひとつの像は、顔かたちや胸の肉づきが、モデルに応じて微妙に個性的で、リアルな活気に満ちているのだと思います。それぞれの時代と場所で、製作者の身近かにいた少年、青年をモデルにしていることは明らかです。

ガンダーラの仏像を思わせる「日に灼けて光つてゐる」少年とは、どんな子なのでしょうか。
ともかく、健康そうに笑っている少年を見て、賢治の心情もようやく落ち着きを得たようで、読者としても、ここでほっとします。

54水が光る きれいな銀の水だ
55《さああすこに水があるよ
56 口をすゝいでさつぱりして往かう
57 こんなきれいな野はらだから》


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