ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.4.11


. 春と修羅・初版本

42鋼青壮麗のそらのむかふ
43(ああけれどもそのどこかも知れない空間で
44 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか






賢治は、しばしば音や光を「ひも」として表現します。たなびくような感じなのでしょうか‥

「光の紐やオーケストラ」は、20-22行目の:「きらきらつと」耀く闇の「顫え」──エグモント序曲からの連想です。

トシの行った世界──木星が、「鋼青壮麗のそらのむかふ」にあって、そこからエグモント序曲のような“闇の顫え”が伝わってくるという想像‥‥しかし、賢治は、それを疑っています。

そして、作者の《心象》は分裂しています:──木星について知っている科学知識が、「鋼青壮麗」の夜の彼方にある荘厳な世界‥という想像を、妨げるのです。むしろ、そこにあるのは、ただ巨きいだけで不毛の惑星、茫漠たる苦しみの世界ではないのか?‥

ところで、【印刷用原稿】の最初の形を見ますと、42行目「鋼青壮麗のそらのむかふ」と43行目の間に、もとは、次のような詩行がありました。これらは、印刷する前の手入れで削除されています:

「(古典ブラーフマのひとたちには
  あすこは修弥(しゆみ)のみなみの面だ
  これらふたいろの観測器械による
  これらふたつの感じやうは
  じつはどっちもそのとほりだ
  じぶんでじぶんを測定する
  現象のなかの命題だから」

「古典ブラーフマ」は、おそらく「ブラーフマナ」のことで、古代インドの聖典『ヴェーダ』の注釈書。詳しくは(注)参照☆

☆(注) ブラフマー:バラモン教の最高神。仏教名「梵天」。/ブラーフマナ:@バラモン教の聖典ヴェーダの注釈書。サンスクリットの古語であるヴェーダ語で書かれ、ブラーフマナ時代(およそ紀元前900年 - 紀元前500年の間)成立した。A古代インドのカースト制で最上位の祭司階級。バラモンとも言う。/そこで、「古典ブラーフマのひとたち」とは、おそらく“ブラーフマナ”@を書いた古代インドの祭司たちという意味でしょう。

「修弥」は、“須弥山(しゅみせん)”のことで、インド神話で、人間世界の中央にあるという高い山。その頂上が「三十三天」★で、月や太陽の軌道よりも高く、帝釈天が支配しています。さらにその上には、“弥勒浄土”のある“兜卒天”など、たくさんの天界が垂直に重なっていて、上へ行くほど、情欲も色も形もない清浄な世界になります。これは、大乗仏教経典である世親『倶舎論』にまとめられていて、仏教の宇宙観にもなっています:須弥山図

★(注) 「三十三天」:須弥山の頂上部にある天界。大地からの標高は80000由旬(ゆじゅん)[7.2km×80000=576,000km]。三十三天の中心には帝釈天(インドラ神)の住む喜見城があり、四方には各8城があり、合計33の城からなる。

『倶舎論』によると、“須弥山”は、南面が瑠璃(ラピスラズリ)で作られています◇⇒画像ファイル・ラピスラズリ(瑠璃) 画像ファイル・瑠璃 つまり、藍色をしているので、賢治は、「鋼青壮麗」の夜空は、古代インド神話によると“須弥山”の裏側だ、と言っているわけです。

◇(注) 三枝充悳『世親』,2004,講談社学術文庫,p.107.
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