ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.4.4


. 春と修羅・初版本

06そこに水いろによこたはり
07一列生徒らがやすんでゐる
08(かげはよると亞鉛とから合成される)

「よると亞鉛とから合成される」影とは、どんな色なのでしょうか?

巻頭の「屈折率」には、

「向ふの縮れた亜鉛の雲へ」

とありました。「小岩井農場・パート4」では、

「亜鉛鍍金(めっき)の雉子」

がいました。これらから考えると、「亜鉛」は、曖昧な・にぶい灰色と思われます◇(画像ファイル:亜鉛)。影も、真っ暗ではないわけです。

◇(注) 「パート4」【下書稿】に「耕耘部の/亜鉛の屋根が見えて来た。光ってゐる。」。「パート4」【清書稿】に「亜鉛の屋根が見えて来た。光ってゐるぞ。亜鉛だぞ。/キップ装置の亜鉛ぢゃない〔…〕光の底の/亜鉛なのだ。」また、『マサニエロ』には、「稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ」とありました。これらは、日に照らされて光ったり、希硫酸に侵されて真黒くなったりした場合ですから、亜鉛本来の色のイメージではありません。

. 春と修羅・初版本

11月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
12かしははせなかをくろくかがめる
13柳澤の杉はなつかしくコロイドよりも
14ぼうずの沼森のむかふには
15騎兵聯隊の灯も澱んでゐる

「銀のアトムをうしなひ」:「アトム」は原子──微細な粒子ということでしょう。出たばかりの月は薄暗く、神秘な「銀」色に光っていたのでしょう。それが、昇って行くと明るく白くなって、銀のまさごでまぶされたような神秘な月ではなくなります。

月の変化に対応して、柏の木は、「せなかをくろくかがめる」──曲がった幹や枝☆のシルエットが、くっきりした黒色になります。

☆(注) 第8章の「一本木野」では、柏の木に向って「あんまりへんなおどりをやると/未来派だっていはれるぜ」と、からかっています。このあたりのカシワは、岩手山から颪してくる強風のために、曲がりくねった木が多かったのでしょう。童話『かしはばやしの夜』の終結部で、林の中に霧がおりて来ると、カシワたちは、「片脚をあげたり両手をそっちへのばしたり、眼をつりあげたり」して踊った格好のまま、固まってしまいます。

「コロイドよりも」は、【印刷用原稿】にはない語句です。植字の誤りか、あるいは賢治の加筆を植字した際に、誤って中途で切れてしまったのでしょう。

「ぼうずの沼森」と言っていますが、木がないという意味ではないでしょう。現在の沼森は、雑木(二次林)が繁っています。植林のために全面伐採されたことはなさそうです。暗くなってシルエットしか見えないので、その沼森の黒いシルエットが、お坊さんの頭の丸い形なのです。

「騎兵聯隊の灯も澱んでゐる」:騎兵連隊のあった場所は分かりませんが、小岩井農場に騎兵が現れることもあったようですから、この近くに駐屯地があったのでしょう。現在、射撃場のあるあたりだとすると、柳沢から見て「沼森」の手前になりますが‥

16《ああおらはあど死んでもい》
17《おらも死んでもい》
18 (それはしよんぼりたつてゐる宮澤か
19  さうでなければ小田島國友
20   向ふの柏木立のうしろの闇が
21   きらきらつといま顫えたのは
22   Egmont Overture にちがひない
23  たれがそんなことを云つたかは
24  わたくしはむしろかんがへないでいい》

歩き疲れた生徒たちは、カシワ林の草むらに寝転んで、「おらは(この)あと、死んでもいい」「おらも死んでもいい」などと言っています。

「宮澤」は、「東岩手火山」の山行にも参加していた宮澤貫一と思われます。1922年10月2日に退学して、盛岡の岩手工業学校へ移っていますから、この「風林」の時には農学校の生徒ではないのですが、賢治の親戚筋なので参加していたのかもしれません。
「小田島國友」は宮澤貫一の1学年下で、この時2年生。

生徒たちは、これから山頂まで登って行くのがつらいので、弱音を吐いているのですが、作者は、その‘死んでもいい’という言葉から何を感じとったのでしょうか?

23  たれがそんなことを云つたかは
24  わたくしはむしろかんがへないでいい》

生徒の誰かの声というよりは、闇の中から響いて来た異界の声‥と言いたそうな独白です。

しかも、【清書後手入れ稿】では、23-24行目は:

「誰がいまの返事をしたかは私は考へないでいゝ。」

でした。つまり、「《ああおらはあど死んでもい》」は、宮澤貫一か小田島国友の声だが、「《おらも死んでもい》」と答えたのが誰だか解らない。闇から響く木霊のように聞こえた──ということで、もとの草稿は、異界体験のイメージがより強かったのです。
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