ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.3.7


「これからトシの旅立つ果てには賢治が妹に諭した世界が待っているはずであり、賢治はそれを力強く見送らなければならない立場であった。信仰を一つにするたった一人の道づれ
〔=賢治──ギトン注〕が、あかるくつめたい精進の道からはずれて、修羅の姿となって、青黒い野原をさまよっているときでも、トシは兄を唯一の信仰の道づれであると信じて疑いもしない。今、妹が何も知らず、まっすぐ旅立っていこうとしている時、かつて彼女にその旅路の方角を教えた兄は、今それが本当に正しいのかどうかさえわからなくなっていた。この道こそ絶対に間違いがないのだから先に行っててくれと、賢治は今どうしても言えない。そればかりか『おまへはひとりどこへ行かうとするのだ』と、内心の自分の問いにぞっとしている。」(op.cit.,pp.186-187.)

たしかに、

. 春と修羅・初版本

「おまへはひとりどこへ行かうとするのだ」

という“内心の問い”は、賢治の信仰の動揺を露呈してあまりある言葉です。
これに続く詩行を追ってみると:

12  (おら、おかないふうしてらべ)
13何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
14またわたくしのどんなちいさな表情も
15けつして見遁さないやうにしながら

とあって、トシの「悲痛な笑ひやう」、死後を怖がっているようす、そして、兄に向けられた探るような視線が描かれています。

阿弥陀仏にすがって往生する(浄土真宗の他力信仰)のではなく、自らの堅固な意思と精進によって、どんな世界にでも進んで飛び込んでいこうという心構えの法華信仰☆を選んだ以上、その選ばせた兄が、力強く送り出してくれないようでは、まちがった選択ではなかったのか、改宗したせいで破滅するのではないかと、不安になるでしょう。

☆(注) 「あいつはどこへ堕ちやうと/もう無上道に屬してゐる/力にみちてそこを進むものは/どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ」(青森挽歌)

「兄さえももう信じられなくなってしまった所へ、妹は何も知らず旅立とうとしているのだ。」
(op.cit.,p.187)

しかし、兄の自信なさげな態度を見ると、妹は不安になり、兄に勧められて入信した法華信仰を、信じ続けてよいのかと疑い始めるのです。すくなくとも、兄「わたくし」には、妹の眼が、そう見えるのです。

〔賢治が──ギトン注〕どんなに心をかくしたつもりでも、死にゆくトシは、兄の二つの心をとっくに見すかしているのではないかということ、そしてそのために妹は不安がっているのだ。

 怖くないはずはない。トシはもう誰も、兄さえも信じていないまことの国、それは今となってはどこにあるかも、存在するかどうかさえも誰ひとり保証できない所へ、たったひとりで行かなければならないのだから。これほど恐ろしいことはないのだ。

 自分の行為は今、一心に信じ切って死んでいこうとする妹への裏切りであった。」
(op.cit.,pp.187-188.)

賢治は、自己の信仰を動揺させ、「巨きな信のちから」から外れることによって妹を裏切っただけでなく、動揺した「心を隠し続けることで妹を裏切った」(op.cit.,p.189)★──
という悔恨に悩まされることとなるのです。

★(注) 「賢治は結局自分さえも信じきれなくなったまことの国へ、妹をたった一人で放り出してしまった〔…〕。賢治は妹の死が真実辛かった。もう手放しで哭きわめきたかった。しかし法華経の改宗を迫って家出まで決行した賢治を知っている家族の者にも、そして兄を信じ只ひとり法華経を理解してくれた妹に対しても、賢治は自分の信仰の迷いなど、決して言うことはできなかったのだ。賢治には迷いを隠し、悲しみを隠し、心を隠して、」“無声で慟哭する”ことしか許されなかった。「無声慟哭」という題名には、「妹を亡くした肉親としての哀しみの裏にもう一つ、妹を裏切り通したまま黄泉の国へ送り出してしまった背徳者の哀しみが隠されてはいなかっただろうか。」(op.cit.,pp.191-192.)
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