ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
35ページ/73ページ


6.1.34


さて、次なる問題は、最後の“祈り”の部分で、「天上のアイスクリーム」の「兜卒の天の食」への変更です。

すでに指摘したように、ここは、《初版本》の印刷に入ったあとの段階で、「みんな」と「聖[きよ]い資糧[かて]」が加えられて、2行から3行になるという変更のあった箇所でした。

ところが、さらに《初版本》公刊後にも、手持ちの公刊本に手入れが加えられて、「天上のアイスクリーム」が「兜卒の天の食」に変更されているのです(《宮澤家本》)。

そこで、これら3つのテキストを、時系列順に並べると、次のようになります:

   【印刷用原稿】
52おまへがたべるこのふたわんのゆきに
53わたくしはいまこころからいのる
54どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに
56わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

   【初版本】
52おまへがたべるこのふたわんのゆきに
53わたくしはいまこころからいのる
54どうかこれが天上のアイスクリームになつて
55おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
56わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

   《宮澤家本》
52おまへがたべるこのふたわんのゆきに
53わたくしはいまこころからいのる
54どうかこれが兜卒の天の食に変って
55やがてはおまへとみんなとに
 聖い資糧をもたらすことを
56わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

このように並べてみると、【初版本】は、なお変更の途中の段階──という感じがします。「アイスクリーム」の・くだけた柔かいイメージと、「聖い資糧」という堅い表現が、しっくり結びつかない感じがするのです。

《兜卒[とそつ]天》とは、別名“弥勒浄土”。天上の欲界第四天にある・弥勒菩薩の主催する浄土で、ここに往生した者は天人となり、弥勒菩薩の説法を聞いて修行します。弥勒菩薩は56億7000万年後に下生(人として地上に生まれること)して地上世界で解脱し、仏(如来)となり、300億近い数の衆生を救済すると言われています。





賢治は、死んだトシの行く先については、長い間動揺して悩んでいましたが、最終的には、《兜卒天》に往生したと信じたようです。
宮澤家の家庭宗教である浄土真宗で説かれる《阿弥陀浄土》とは違って、《弥勒浄土》に往生した者は、さらにそこで修行を続け、天人として、さらに高い世界へ昇天したり、地上に下って人々を救済したりします。

宮澤賢治は、阿弥陀様の他力で往生してそれっきりという消極的な真宗の信仰への反発から、死後もなお活発に修行し活動する《弥勒浄土》のほうが、トシにはふさわしいと考えたのでしょう。

その前に置かれたトシの言葉:

49(うまれでくるたて
50 こんどはこたにわりやのごとばかりで
51 くるしまなあよにうまれてくる)

も、賢治は、“天上に生まれて衆生救済に努めたい”という宗教的な意味に、《宮澤家本》に手入れを加えた段階では、理解するようになったのだと思います。


【59】松の針 ヘ
第6章の目次へ戻る
第7章へ

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ