ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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【59】 松の針

小説・詩

6.2.1


1922年11月27日付け“三部作”の2番目です。
前作「永訣の朝」では、妹の病室から庭に飛び出して、松の枝に溜まった雪(みぞれ)を茶碗に採取するところまでが描かれましたが、
「松の針」では、採って来た雪と松の小枝を妹に触れさせています。

. 春と修羅・初版本

01  さつきのみぞれをとつてきた
02  あのきれいな松のえだだよ
03おお おまへはまるでとびつくやうに
04そのみどりの葉にあつい頬をあてる
05そんな植物性の青い針のなかに
06はげしく頬を刺させることは
07むさぼるやうにさへすることは
08どんなにわたくしたちをおどろかすことか
09そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ
10おまへがあんなにねつに燃され
11あせやいたみでもだえてゐるとき
12わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
13ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
14   《ああいい さつぱりした
15    まるで林のながさ來たよだ》
16鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに
17おまへは林をしたつてゐた
18どんなにわたくしがうらやましかつたらう
19ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
20ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
21わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
22泣いてわたくしにさう言つてくれ
23  おまへの頬の けれども
24  なんといふけふのうつくしさよ
25  わたくしは緑のかやのうへにも
26  この新鮮な松のえだをおかう
27  いまに雫もおちるだらうし
28  そら
29  さわやかな
30  terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう

「この作品は、「永訣の朝」で採取してきた雪を、トシ子に食べさせる状況が書かれています。作者は、雪といっしょに雪が載っていた松の小枝も採ってきたことが分かります。
しかし、雪と小枝を与えられたトシ子の行動は、作者はじめ家族をびっくりさせるほどでした。トシ子は松の針葉が頬に刺さるほど激しく椀に顔を寄せ、むさぼるように雪をほおばって、

14《ああいい さつぱりした
15 まるで林のながさ來たよだ》

と言うのです。
 しかし、異常ともいえるトシ子の行動に対して、作者はかえって、森林を慕うトシ子の気持ちの強さを認識し、後悔さえ感じています
 こんな時に、人はなぜ後悔したり自分を責めたりするのでしょうか?賢治の場合は、端的に、自分が健康であったことが罪だった、と言わんばかりです。しかし、もっと合理的な心性の持ち主で、“できることはしてあげた”と思っている場合でも、“できることしかしなかった”という痛恨の思いが必ず裏腹にあるものではないでしょうか。
 “避けられない不条理”と言うのは簡単ですが、それが答えになるわけでもありません。」

↑これは、半年ほど前に私が書いた説明文なのですが、いまでは変更の必要を感じています。というのは、半年前の段階では、当日の実際の状況を、資料──とくに、細川キヨ聞書き──にあたって調べてみるということを、まだしていなかったからです。

しかし、関連知識のない状態で、テキストを素直に読んだ感想としては、わるくなく、“知ってしまった”現在ではもう書けない文章ですので、はじめに、これをお目にかけることにしました。。。
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