ゆらぐ蜉蝣文字


第6章 無声慟哭
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6.1.17


. 春と修羅・初版本

01けふのうちに
02とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
03みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
04 (あめゆじゆとてちてけんじや)
05うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
06みぞれはびちよびちよふつてくる
07 (あめゆじゆとてちてけんじや)
08青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
09これらふたつのかけた陶椀に
10おまへがたべるあめゆきをとらうとして
11わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
12このくらいみぞれのなかに飛びだした
13 (あめゆじゆとてちてけんじや)
14蒼鉛いろの暗い雲から
15みぞれはびちよびちよ沈んでくる
16ああとし子
17死ぬといふいまごろになつて
18わたくしをいつしやうあかるくするために
19こんなさつぱりした雪のひとわんを
20おまへはわたくしにたのんだのだ
21ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
22わたくしもまつすぐにすすんでいくから
23 (あめゆじゆとてちてけんじや)
24はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
25おまへはわたくしにたのんだのだ
26銀河や太陽、氣圏などとよばれたせかいの
27そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

「これは実際にとし子の語った言葉だったのだろうか。〔…〕この言葉の静かな響きは、あたりに充満し、ちょうど陰惨な雲からみぞれが絶えず降りそそいでくるように、遠い彼方から暗い影を伴って賢治の耳底に鳴り響いているように聞こえる。〔…〕」

「思い切って言えば、これはとし子の現実の声ではなく、いわば霊的な、四次元での声ではなかったのか。繰り返されるのは、賢治が、いきなりそれを捉えたのではなく、しだいにはっきりと意識していった過程を物語るのではないか。声はずっと前から聞こえていた。聞こえていたのだが、この時初めてはっきり意識した。賢治は驚いて『まがつたてつぽうだまのやうに/このくらいみぞれのなかに飛びだした』‥‥。飛び出すと同時に確信したのではなかったか。とし子が、自分に別れを告げている、と。」
(『見者の文学』,pp.227-228.)

そのあとの16-22行目:「ああとし子/死ぬといふいまごろになつて」から「わたくしもまつすぐにすすんでいくから」までは、作者と妹の間の現実の会話ではなく、「わたくし」の独白であって、いわば、「わたくし」と「とし子」の魂との「心象での霊的な別れ」(p.229)なのです。

「森荘已池が、このときとし子の看護にあたっていた細川キヨの聞書を残していますが、それを見ても、臨終の日のとし子の病状は、とてもみずから『あめゆじゆ』を求めることができるような状態ではなかったと思われます。」


☆(注) 栗谷川虹『宮沢賢治 異界を見た人』,1997,角川文庫クラシックス,p.252. なお、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」について、さらなる考察は、こちら⇒:【第9章】【3】《補論》じゅんさい、あめゆじゅ, etc.

つまり、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は、現実に病床のトシが賢治に言った言葉ではなく、「心象での霊的な別れ」として、霊的な世界──異界において、賢治の霊がトシの霊と交わした言葉だった──栗谷川氏は、そのように論じています。
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