ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.2.5


10日光のために燃え盡きさうになりながら
11燃えきらず青くけむるその木

もう秋ですから、カラマツやカシワは色づきはじめている★でしょうけれども、この若いシラカバはまだ青々として、──陽を後ろに背負って青々とけむり、夕方の光を透過させています‥

★(注) カラマツは黄色、カシワは橙〜赤に紅葉します。

しかし、この光景──「燃え盡きさうになりながら/燃えきらず青くけむるその木」には、単なる夕景以上の内容がこめられています。

童話『よたかの星』の「よたか」のように、激しく燃え尽きそうになりながら、燃え尽きることなく、また、真っ赤に燃え上がることもなく、‥まるで背後から焼く日の光に抵抗し続けるかのように、「青くけむ」りつづけるのです。

作者は、その精神に打たれたのだと思います。

それを、具体的なコトバで言い表すのは難しいのですが。。。

《国柱会》の布教に投身した東京での生活、そして保阪との“別れ”を契機に、狂信的な布教に終止符を打った作者は、

かつて(家出上京前に)『よたかの星』を書いた時とは違って、それを一段階踏み越えた世界を見ていたのではないでしょうか?‥

熱狂のうちに自己を焼き尽くしてしまうのではなく、むしろ、「青くけむ」りつづけながらも、自己を自己としてまとめあげ、把持して行こうとする意思、──自己のアイデンティティをつかみ、己が個性を譲り渡すことなく、すくっと立とうとする精神‥、と言えば、当たっているでしょうか。。。

. 春と修羅・初版本

12羽蟲は一疋づつ光り
13鞍 掛や銀の錯亂

傾いた横殴りの陽に照らし出されて、飛んでいる羽虫は一匹一匹、大きく光って見えますし、遠景の鞍掛山や、大気の夕靄も輝いています。

夕焼けの景色には誰でも目を奪われますが、
その夕焼けになる前の一瞬──沈む前の太陽が、低い位置から風景を照らし出して、地上のすべてのものがもう一度明るく輝く瞬間の姿を、作者はじつによくとらえていると思います。

. 春と修羅・初版本

14  (寛政十一年は百二十年前です)
15そらの魚の涎(よだれ)はふりかかり
16天[末]線(スカイライン)の恐ろしさ

「寛政十一年」は1799年で、たしかに1922年の123年前ですが‥、
これはやはり、賢治が岩手山の噴火年代のつもりで書いているのだと思います。歴史時代に記録された岩手山の噴火は、1686-7年、1732年、1919年の3回です☆

☆(注) 1686-7年は東岩手火山の頂上火口からスコリアを噴出し、火山泥流による家屋・家畜の被害をもたらしています。1732年噴火は山腹からのマグマ流出で、被害の記録はありません。1919年は、西岩手山・地獄谷の水蒸気爆発で被害なし。しかし、その後各所で噴気があったほか、1998年以来最近まで、小規模な火山活動や地震が続いています。

山腹火口からのマグマ噴出によって《焼け走り溶岩流》が形成された噴火は、かつては1719年に起こったと考えられていました(1903年の論文によるもので、賢治の時代にも、そう思われていました)

しかし、最近の調査で、1719年には噴火はなく、1732年の古文書類に記録された噴火が《焼け走り溶岩流》の噴出にほかならないことが、判明しています。

賢治は、1719年を1799年と覚え違いしていたのかもしれませんし、あるいは、“鞍掛山形成史”と同じように賢治独自の見解を持っていたのかもしれません。
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