ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.6


. 春と修羅・初版本

15その早池峰と薬師岳との雲環は
16古い壁畫のきららから
17再生してきて浮きだしたのだ

1914年5-6月頃の短歌に:

「東には紫磨金色の薬師仏空のやまひにあらはれ給ふ」
(歌稿A #156)

というがあります。「東」の「薬師仏」とは、早池峰連山の薬師岳を指しています。

この時期の賢治は、盛岡中学を卒業したものの進学は父に許されず、かといって家業に従う気にもならず、ノイローゼ状態になって花巻の実家で過ごしていた時期です。
宗教にでも何にでもすがりたい気持ちが、薬師如来(病気を治す御利益がある)の幻視を生み出したと言えますが、その幻視自体が「やまひ」の一部であるかのような異様さが目立ちます☆

☆(注) 岡澤敏男氏は、ノイローゼによる自殺「の危機を回避させてくれたのが薬師仏だったらしい。〔…〕賢治の心の病(空のやまひ)を平癒させるため薬師仏が出現したというのです。」と述べておられますが(「〈賢治の置土産〉351」:『盛岡タイムス Web News』2014年2月1日)、前後の〔歌稿A〕短歌から見ても、この短歌だけが救いを得たようなものとは思えません:「そらはいま蟇の皮にて張られたりその黄のひかりその毒の光り(#155)」「いかに雲の原のかなしさあれ草も微風もなべて猩紅の熱(#157)」

ともかく、宮沢賢治は《短歌時代》から、早池峰山・薬師岳に対しては宗教的なモチーフを持っていたことになります。
「栗鼠と色鉛筆」に現れている・厳かに輝く連山と雲の《心象》の“もとじ”になっているのも、そうした宗教的モチーフと思われます。「古い壁畫のきららから/再生してき」たとは、中学卒業時期に見た《心象》のフラッシュバックという意味かもしれません。
しかし、だからといって、この「栗鼠と色鉛筆」に描かれた早池峰連山を宗教的に理解するにはあたらないと思います。

18 色鉛筆がほしいつて
19 ステツドラアのみぢかいペンか
20 ステツドラアのならいいんだが
21 來月にしてもらひたいな
22 まああの山と上の雲との模様を見ろ
23 よく熟してゐてうまいから

この詩は、最後の部分で、↑このように急に調子が変ります。
しかしまず、「ステツドラア」について予備知識が必要です。

「ステッドラー(STAEDTLER)」は、ドイツ・ニュルンベルクに本拠を置く筆記具・製図用品の世界的メーカーです。製図家、デザイナーの方は、よくご存知でしょう:STAEDTLER Mars GmbH Global Website(シュテットラー・マルスGmbH[英語版]) ステッドラー日本、公式HP

ステッドラーは、もともと17世紀に鉛筆を発明したフリードリヒ・シュテットラーの子孫が〔鉛筆って、発明した人がいたんだあ…w〕1835年に設立した会社だそうです。ステッドラーの筆記具はとにかく高級品で、色鉛筆ならペンテルやミツビシの数倍の値段はします。例えば、“カラト水彩色鉛筆24色セット”が定価4620円也。まあ値段だけの品質なんでしょう。

賢治の詩には、

「色鉛筆がほしいつて〔…〕みぢかいペンか」

とありますから、ステッドラーの短い色鉛筆を探してみますと:画像ファイル:ステッドラー

↑“キッディ・ミニ色鉛筆”と“キッディ・エレファント”は廃番品で、もう製造していないそうです。昔は造っていたわけです。子ども用なので、ステッドラーにしては値段もお手頃なんでしょうね。象のマークがかわいいです^^

“ルナ・アクアレル”も短いですね。こちらは水彩色鉛筆で(ふつうの色鉛筆は油性です)、書いたあとで、水を含ませた筆でなぞると水彩画のようになるんですね。賢治のスケッチには、こちらのほうが合ってそうです…

いずれにしろ、ステッドラーは、特別に短い色鉛筆のセットを昔から売っていたのです。おそらく、高級なステッドラーを廉価に手に入れたい需要に応えたものでしょう。

「みぢかいペンか」は、使い古しの鉛筆と読む人が多いのですが、ちょっと調べてみれば、そうではないことが分かるのです。
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