ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.5


そこで、「白金をくすぼらし」の意味ですが、
まえに「小岩井農場」で見たように、賢治は「白金」を、輝く貴金属とばかりは見ません。輝くと同時に、“白金海綿”という真っ黒いスポンジ状の塊にもなりうる物質として見ています。
太陽を後ろに背負った雲は、ぎらぎらと輝く部分もあれば、影になって黒い部分もあります。それを言っているのだと思います。

そして、十分に輝けずに‘くすぶっ’ている太陽は、不平をかこっているようにも見えます。
それに対応して、杉並木は黒々と尖ったこずえを、天に向って槍のように突き立てています。

作者の《心象》は暗さを帯びてきましたが、これは、続く15-17行目で顕在化する《見者の視線》の導入になっています:

. 春と修羅・初版本

15その早池峰と薬師岳との雲環は
16古い壁畫のきららから
17再生してきて浮きだしたのだ

遠景には、早池峰山と薬師岳の輪郭が、空(そら)の背景から浮き出て見えています。

「雲環」はよく分かりませんが、峰にかかっている雲だとすると‥こちらに早池峰・薬師の写真で雲のかかったのを集めてみました:画像ファイル:早池峰山と雲

しかし、これらは「環」ではないですよね。。。

こちらは、中国の“白雲山”と富士山ですが、やはり「環」とまでは言えません→:画像ファイル:雲の環

中国の仙人や孫悟空の挿絵漫画などによくある、尖った峯の先に、雲が環になってかかっているような景色は、実際には、ちょっと無さそうです。
山のてっぺんを雲が覆っている景色がせいぜいではないでしょうか。

また、そういうメルヘン的な「雲環」が描かれた「壁画」というのも‥ちょっと思いつきません。

「雲環は/古い壁畫のきららから/再生してきて浮きだしたのだ」

は、うす雲のかかった背景の空から「浮きだした」という意味でしょうか?

「きらら」は、鉱石の雲母のことですが、
雲母の粉は“きらら”または“きら”と呼ばれて、浮世絵や日本画の絵具として使われました。

浮世絵では、写楽や広重の人物画の背景に使われた“雲母摺り(きらずり)”が有名です。写真で見ると黒い背景ですが、雲母の粉が混ぜてあるので、本物は輝いて見えるそうです:画像ファイル:東洲斎写楽(3枚目)

そのほか、“雲母引き(きらびき)”と言って、白い雲母粉を膠(にかわ)に溶いて煮て、降っている雪片や、夜空の星を描きました:画像ファイル:歌川広重「王子の狐火」(1枚目)

“きらびき”で模様を描いている例もあります:画像ファイル:光悦謡本(2枚目)
いずれにしろ、塗った「きらら」は、きらきらと輝いて見えます。

「古い壁畫のきららから/再生してきて浮きだした」

は、「きらら」で描かれた・まばゆい「雲環」なのか?
それとも、「古い壁画」とは背景の空で、“きら摺り”のように輝く空を背景に、「雲環」が浮き出ているのか?

いずれにせよ、見つめているのは《見者(ヴォワイヤン)の視線》です。




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