ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.7


. 春と修羅・初版本

21屋根は矩形で傾斜白くひかり

21行目は、どの建物を指しているのか、ちょっと分かりません。。。 「矩形(くけい)」は長方形のこと。

【ギトンのお部屋】で、この詩を扱ったときには、花巻城の遺構《円城寺門》のことだと思っていました。ところが、調べてみると、この門は、1871(明治4)年の花巻城取壊しで、北上市に移され、1932年に花巻(鳥谷ケ崎神社境内)に戻っているのです。つまり、賢治が亡くなる前の年まで、この門は花巻には無かったのです!

現在復元されている《西御門》など、花巻城の建物は、賢治の当時には、いっさいありませんでした☆

☆(注) ゆいいつ花巻に残っていたのは《時鐘堂》ですが、これは三角屋根の小さな鐘楼で、上の詩句には該当しません。

これは、高等女学校の建物でしょうか?

それとも、《四角山》★でしょうか?

残念ながら、ギトンは、これ以上追究できる資料を持っていません。。。

★(注) 《時鐘堂》が上に載っていた四角い台状の土盛り。本丸城址の鐘撞堂下堀を隔てた南側にあった:地図:花巻城址付近

ただ言えるのは、↑この「白くひか」る傾斜、そして四角い箱型は、「小岩井農場・パート3」にあった“忘却の箱”と同様に、作者が思い出そうとして思い出せない何かを、指しているということです:

66なにか忘れものでももつてくるといふ風…(蜂函の白ペンキ)


 

先へ進めましょう:

22こどもがふたりかけて行く
23羽織をかざしてかける日本の子供ら
24こんどは茶いろの雀どもの抛物線
25金屬製の桑のこつちを
26もひとりこどもがゆつくり行く

子どもが二人、鳥のつばさのように羽織のすそを広げて、坂を駆け下りて行きます。
それに呼応するかのように、スズメたちが現れて、ゆったりと大きなカーブを描いて飛びます。

「金屬製の桑」は、秋になって色づいた、堅い桑の葉。桑にかぎらず、賢治は、風でかさかさと鳴る堅い木の葉を、“ブリキ製”“金属製”などと表現します。

それを背景として、一人の子どもが歩いて過ぎます。

舞台は、いっきょに日本の東北地方に戻ってきました。
描かれる風景が身近かになります◇

◇(注) もっとも、目の前の実景そのものかというと、疑問もあります。むしろ、3人の子どもたちは作者の想像で、じっさいに目の前に展開しているのは、スズメが飛び交う風景なのではないかと、ギトンは思います。

27蘆の穂は赤い赤い
28 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
29はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
30 (ロシヤだよ ロシヤだよ)

作者は、しかし、日本の風景に安住していることができません。

「蘆(あし)の穂」は、お濠に生えている芦でしょう:画像ファイル:アシ(ヨシ)の穂

芦の穂の赤い色を見ると、空想の視線は、今度は、ロシアに飛んで行きます。

「はこやなぎ」は、ヤマナラシとも云います。ヤナギ科の落葉高木で、ポプラと同じように枝を上に向けてまっすぐに伸びます。
葉柄が柔軟にできていて、風を受けると微風でも葉がひらめいて、さらさらした音を立てます。それで‘山鳴らし’という名前が付いたという説があります:画像ファイル:ヤマナラシ
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