ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.6


. 春と修羅・初版本

09赤い蓼(たで)の花もうごく

イヌタデの花は、ツボミの時から実になるまで、ずっと赤い萼(がく)に包まれていて、できた実は萼ごと落ちて、どんどん新しいツボミが出てきます。そのため、花も実も、見た目は‘赤い粒’で、区別がつきません。夏から冬近くまで、いつ見ても同じに見えます。

そういうわけで、「蓼の花」と言っても、蓼の実と言っても、同じことです。

ちなみに、タデの花穂をデジカメで撮るには苦労します。穂が細くて、焦点を結ばないからです。自分で撮ったのには、適当なのがないし、ネットで探しても、ぼやけたのしか見つかりませんでした。

ススキもグミも桐もタデも揺れていて、相当に強い風が吹いているようです。

10すヾめ すヾめ
11ゆつくり杉に飛んで稲にはいる
12そこはどての陰で氣流もないので
13そんなにゆつくり飛べるのだ

スズメは、すでに検討しましたが、第4章の「グランド電柱」と同じく、群れでしょう。

↑ここの「どて」は、本丸のへりの土塁から続く崖斜面全体を指していると思われます。

木も草も、強い風を受けて忙(せわ)しく揺れているのに、スズメたちは、ゆっくりと落ち着いて飛び回っています。

その場所は、土手が風をさえぎって静かなためだと考察しています。

このような、ことさらに“科学的”な解釈を加えることは、
現象を見たとおりそのまま記録するという「序詩」の精神には反するのですが、第4章あたりから、この種の“考察”が目立つようになってきています。

これは、栗谷川氏も指摘されるように、足もとの現実的な土台を見失うまいとする努力なのです:

「『グランド電柱』章では、〔…〕初期のスケッチに見られる『異空間』の直接的描写は消えて、特異な『心象』は、いちいち確かめられ、『物理学の法則に従って』納得しようとする。〔…〕

 四次元の世界への誘引に対する抵抗〔…〕決して消え去ることのない異空間の現象を、無理にも見まいとする努力であった。〔…〕超現実の世界に背を向けようとするのは、賢治自身の立場の強化だったのである。」


★(注) 『見者の文学』,pp.172-173.

しかし、私たちは、作者の一見“科学的”な考察に、振り回されないほうがよいかもしれません。

むしろ、作者が背を向けようとしているもののほうに、詩心の展開を導くものがあります:

10すヾめ すヾめ
11ゆつくり杉に飛んで稲にはいる

スズメたちの、ゆったりとした動きは、周囲の環境に流されないもの──とりわけ、「烏の群が踊」り、木や草を激しく揺らす気流の動きにも撹乱されることなく、しずかに自己を保つものを、指し示そうとしています。

そして、この「すヾめ」の描線がきっかけとなって、作者の心奥に抑えられていた感情が溢れ出てくるのです:

14 (なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
15ひとの名前をなんべんも
16風のなかで[繰]り返してさしつかえないか

しかし、17-18行目の「みんな鍬や縄をもち」──そろそろ生徒たちが実習の道具をかかえて戻ってくる──という独白で、作者は、現実意識に引き戻され、とめどなく溢れ出る悲しみの奔流──感情の表白は、収束します。

そして、あらためて「烏」が空に現れてくるのですが↓、
今度は、“矩形の屋根”“白く光る傾斜”の視覚が、烏の踊る“バレー空間”の現出を、いっとき食い止めます:

19いまは鳥のないしづかなそらに
20またからすが横からはいる
21屋根は矩形で傾斜白くひかり
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