ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.2


まず、「ひとの名前をなんべんも/風のなかで[繰]☆り返してさしつかえないか」という・この表現自体、生の感情の表出からはほど遠い、ひじょうに抑えられたものでありながら、
「なんべんも」、あるいは、「さしつかえないか」という遠慮したような言い方の中に、かえってその感情の激しさ、せつなさを表しています。

☆(注) テキストの「操」は「繰」の誤りと思われます。「操」は、“あやつる、とる、みさお”と読む字で、操作、操舵、節操などの熟語があります。「操」のままだと、「あやつりかえして さしつかえないか」などと読まなければならないので、ここは「繰」に校訂せざるをえません。しかし、作者は、【初版本】だけでなく《印刷用原稿》でも「操り返」ですし、《宮澤家本》等、出版後の手入れテキストでも、すべて「操り返」のままにしているのです。作者にとって、「操」という字に意味があると考えなければなりません。それはおそらく「みさお」の意味と思われますが、これは深読みになりますから、本節の最後に論じます。

この2行は、これだけを独立した“詩”ないしセリフとして扱ってもよいほどの凝集性、明晰性を持っています☆

☆(注) ギトンは、ある出会い系SNSで、友人の一人が、この2行を表示して、誰かに対する自分の気持ちをアピールしているのを見たことがあります。なるほど、この詩は、そういう使い方もできるのかと感心しました。つまり、「ひとの名前」とは誰なのか、という謎を読者に投げかけているのです。賢治の詩も、同じ効果を狙っていると思ってよいのではないでしょうか?。。。そこで、この「ひとの名前」には、どんな名前が入るのか──作者は、風のなかで、誰の名前を呼んだのか?──、読者諸兄は考えてみてくださいw。ギトンの考えた答えは、この論考の最後に明かしたいと思います。

さらに、この2行にすぐ続く独白:

. 春と修羅・初版本

17 (もうみんな鍬や縄をもち
18  崖をおりてきていヽころだ)

が、作者を、日常的な冷静な意識に強く引き戻します。
教師としての日常的な焦慮の挿入は、作者をして、詩人の情緒・感慨の中へ浸りきることを許しません。

この17-18行目によって、場面設定が明らかになります。
おそらく実習田から学校への帰り道、先に立って歩いて来た作者が、城址から下りる坂道の途中で、あとからやって来る生徒たちを待っているところだと、分かります。

そして、この詩全体に散りばめられた外国風景の仮構です:

01城のすすきの波の上には
02伊太利亞製の空間がある
   〔…〕
06ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの
   〔…〕
23羽織をかざしてかける日本の子供ら
   〔…〕
27蘆の穂は赤い赤い
28 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
29はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
30 (ロシヤだよ ロシヤだよ)
   〔…〕
33お城の上のそらはこんどは支那のそら




作品冒頭から、いきなりイタリア→ ロシア(ぐみの木)→ 日本→ ロシア→ 中国‥‥と、城址から見下ろす同じ風景を眺めながら、作者の《心象》は、目まぐるしく世界中を駆けめぐります。。。

これらの特質が、日本の風景の中での秋の詩情という伝統的な場面から、遥かに隔たった地点へ、作者を飛ばして行ってしまいます。。。
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