ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.25


. 春と修羅・初版本

155雲の海のはてはだんだん平らになる
156それは一つの雲平線(うんぴやうせん)をつくるのだ
157雲平線をつくるのだといふのは
158月のひかりのひだりから
159みぎへすばやく擦過した
160一つの夜の幻覺だ

現実の大地ではなく、夜の虚空に浮かんだ雲海が、「だんだん平らにな」って、異空間の‘地平’をかたち造ろうとしています。
しかし、そこに降り立っても、《異空間》の中で降り立つことにしかなりません。それは、いわば、見せかけの“下向”でしかないのです。

それは「一つの夜の幻覺だ」‥と、作者の現実意識が警告します。

とはいえ、この警告自体、いまだ、「月のひかりのひだりから/みぎへすばやく擦過した」という、美しい‘幻覚’をまとっています。

161いま火口原の中に
162一點しろく光るもの
163わたくしを呼んでゐる呼んでゐるのか

おそらく、現実の眼に還元すれば、生徒の一人が提げている提灯の光でしょう。しかし、作者の眼は、それを、《神秘界》からの呼び出しの光──合図と見ます。

「呼んでゐる呼んでゐるのか」──作者は、二つの意識の間を微妙に揺れ動き、往復します。

《異空間》の意識が、現実意識へバトンタッチして消え去るのではなく、
むしろ、この詩のはじめには何ごともなく並存していた2つの意識は、ここでいよいよ絡みあい、せめぎ合いを始めたかのようです。

「この『人々』、即ち『他者』が、『春と修羅』で初めて登場するのは『東岩手火山』においてである。賢治以外の人物は、
〔『春と修羅』第1〜4章に──ギトン〕確かにこれまでも何人か登場するのだが、それらは、賢治の人格と対立し、こちらが見るばかりでなく、向こうからもこちらを見ることによって、自己を外から規定してくる『他者』としてではなかった。他人もまた『心象宙宇』の中では、明滅する一風物に過ぎなかった。

   草地の黄金をすぎてくるもの
   ことなくひとのかたちのもの

 〔…〕ゆらめく心象風景の中で、他人は『人』ですらない。『すぎてくるもの』、黄金色の草地を動くものでしかない。これはいわば、あらゆる属性を剥奪された現象そのものであって、物と物との関係において捉えられた『人』は存在しない。〔…〕

 この『他者』の不在は、賢治の側における現実的な人格の不在であった。他者と相対し、これとなんらかの関係を結ぶ賢治の人格は、現実意識と異次元の間で分裂し、他者を他者として受けとめることができないのである。」
(栗谷川虹:op.cit.,pp.187,189)




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