『心象スケッチ 春と修羅』
□東岩手火山
9ページ/15ページ
下向の道と書いてあるにさういない
火口のなかから提灯が出て來た
宮澤の聲もきこえる
雲の海のはてはだんだん平らになる
それは一つの雲平線うんぴやうせんをつくるのだ
雲平線をつくるのだといふのは
月のひかりのひだりから
みぎへすばやく擦過した
一つの夜の幻覺だ
いま火口原の中に
一點しろく光るもの
わたくしを呼んでゐる呼んでゐるのか
────────
私は氣圏オペラの役者です
鉛筆のさやは光り
速かに指の黒い影はうごき
唇を圓くして立つてゐる私は
たしかに氣圏オペラの役者です
また月光と火山塊のかげ
向ふの黒い巨きな壁は
熔岩か集塊岩、力強い肩だ
とにかく夜があけてお鉢廻りのときは
あすこからこつちへ出て來るのだ
なまぬるい風だ
これが氣温の逆轉だ