ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.18


しかし、作者は、もう生徒への応対は尽したので、そろそろひとりになって、しばらく自分の《心象》に没入したくなっています:

104さあでは私はひとり行かう
105外輪山の自然な美しい歩道の上を

「外輪山の‥歩道」とは、《御鉢》火口縁の上を歩くのです。

. 春と修羅・初版本

107《お月さまには黒い處もある》
108 《後藤(どう)又兵衛いつつも拝んだづなす》
109 私のひとりごとの反響に
110 小田島治衛(はるゑ)が云つてゐる
111《山中鹿之助だらう》
112 もうかまはない、歩いていゝ
113   どつちにしてもそれは善(い)いことだ

生徒が、なおも作者の独り言に応じて話しかけますが、作者は、かまわず歩き出します。

107行目は賢治の独り言。「後藤又兵衛」「山中鹿之助」は不詳の人名ですが、花巻で知られた人でしょう。小田島治衛は、1923年卒業。
その「後藤又兵衛」か「山中鹿之助」が、いつも月を拝んでいる、と。しかし、どちらだろうと、月を拝むのは良いことだ、と賢治は軽く答えて歩き出します。





114二十五日の月のあかりに照されて
115薬師火口の外輪山をあるくとき
116わたくしは地球の華族である
117蛋白石の雲は遥にたゝヘ
118オリオン、金牛、もろもろの星座
119澄み切り澄みわたつて
120瞬きさへもすくなく
121わたくしの頬の上にかがやき

「華族」は、戦前の貴族制度で、公爵から男爵までの爵位に叙されました。宮澤賢治の周辺で言うと、盛岡高等農林の学校長が華族に列せられています。つまり、ほとんど雲の上の人でした。
そういう気分です。

「蛋白石の雲」は、さきほど、「その質は/蛋白石」(オパール)だと言っていた雲海。

「金牛」は、おうし座。オリオンの上方には、おうし座が見えます:画像ファイル:1922年9月18日の星空

121行目の「頬の上にかがやき」は、《印刷用原稿》の最初のテキストに従っています。【初版本】では、「額の上にかがやき」に変っています。
「頬の上」のほうが、星々と、より親しい感じがします。

ところで、この詩には、生徒の実名がたくさん出てきます。
ギトンが思うに、これは、新聞掲載による学校の宣伝効果をねらったのではないかと思います。

息子の実名が出ていれば、親たちは鼻高々に、新聞を近所の人や親戚に見せて回るでしょう。新聞に名前が載っただけで、周りの人に褒められ、一家が偉くなったような気がするにちがいありません。
見た人は、息子をあの農学校に入れれば偉くなると思い込んで、来年は入学願書を出すかもしれません。

当時、稗貫農学校は発足したばかりで、“入学試験は、受けさえすれば受かる”などという噂もあったくらい、志願者を確保するために教員総出で周辺町村に挨拶して回ったほどでした。
そういうわけで、賢治も、学校の評判を広めるために気を使っていたと思われるのです。
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