ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.10


ギトンは、これは、賢治が、《見者》の眼を──科学とは矛盾する“異界を見る眼”を持っていることの、裏返しなのだと思います。

“異界を見る眼”と意識の分裂に、惑わされることなく、教師として現実生活の勤めを果たして行こうとする義務感から、ことさらに過剰な科学的態度をとってしまうのではないでしょうか。

. 春と修羅・初版本

034 ああ、暗い雲の海だ
   〔…〕
048(柔かな雲の波だ
049 あんな大きなうねりなら
050 月光會社の五千噸の汽船も
051 動揺を感じはしないだらう
052 その質は
053 蛋白石、glass-wool
054 あるひは水酸化礬土の沈澱

頂きの下には雲海ができています。「月光会社」は、じっさいにある会社の名前ではなく、創作のようです。

「あんな大きなうねりなら/月光會社の五千噸の汽船も/動揺を感じはしないだらう」

は、一見すると科学的な考察のように見えるかもしれませんが、そうではありません。むしろ《異界》を見る超越視覚と結びついています。

というのは、よく考えれば物理の法則に合わないからです。

「五千トン」は、大きい船の喩えだと思いますが、大きい船ほど、波で揺らされる影響は少ないはずです。波長が船体より小さければ、波の及ぼす力は相殺しあってしまうからです。
逆に、うねりの波長が長いほど、船に及ぼす‘揺れ’は、大きいはずです。

したがって、科学的な想定は:

「あんな大きなうねりなら/月光會社の五千噸の汽船も/動揺を感じるだらう」

になると思います。

しかし、上の作者の表現は、‘大きな船’かつ‘大きなうねり’というイメージから、‘小刻みに動揺することなく悠然とたゆたう気分’を導いているのです。

「月光會社の五千噸の汽船」は、巨大な船のような山体、つまり、いま作者が立っている《御鉢》外輪山を指しています。
現実界と《異世界》との間を自由に往き来するこの亡霊のような巨船は、「暗い雲の海」の上に──しかし「柔かな雲の波」の上に、浮かんでいます。雲海のうねりは、ゆったりと大きいので、作者の立つ“船”の上では、少しも動揺を感ずることがありません。




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