ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.14.15


しかし、ギトンは、ちょっと別のことを考えています。この変更は、作者が、【初版本】印刷中に邂逅した・ある男子生徒への恋が影響しているのではないかと想像するのです。

いま、ここで、その事実関係に立ち入っている余裕はないので、興味のある方は、ギトンが前に書いたブログを参照していただければと思います:異形の美少年(1)

ともかく、↑上の変更は、意味の変更ではなく、表現の変更なのだと思います。変更によって、詩の文脈が、よりはっきりと分かりやすくなったことは、たしかです。

そこで、この点をふまえて、もういちど流れをまとめてみますと:

. 春と修羅・初版本

06 鴇いろのはるの樹液を
07 アルペン農の辛酸に投げ

08 生しののめの草いろの火を
09 高原の風とひかりにさゝげ

この4行は、2行ずつの対句になっています。

春を迎えた木々に脈打つ樹液を、「鴇いろ」つまり、しずかに燃え立つようなピンクで表現しています。トキが地上から羽ばたく姿をそこに重ねてもよいと思います。それは、推敲で「若やかに波だつむねを」と言い換えられていることからも分かるような、舞手たちの若々しくしなやかな身体の動きを象徴しています。

しかし、そうした・そそるような身体を、山村に生きる彼らは、「アルペン農の辛酸」に投げて行かねばなりません。

…そして「生しののめ」は、漆黒の闇からしだいに光が燃えだしてくるような「生」の始まりです。それは「聖」とさえ指称できます。春先には、草や木の芽が「萌える」と云います。「もえぎ色」という言葉もあるくらい、冬の間眠っていた生命が燃え出す火は、「草いろ」──うすあおい緑の焔なのです。

そうした生命の焔を、彼らは、「高原の風とひかりにさゝげ」ます。そこには、単に若々しい肉体を厳しい労働で磨り減らしてしまうというだけでない、山村の生活に対する讃歌が感じられます。
そして、

10菩提樹皮(まだかは)と繩とをまとふ
11氣圏の戰士わが朋(とも)たちよ

「まだかわ」つまりシナノキの繊維を編んだ「けら」をまとい、縄の帯を締めた少年たちを「気圏の戦士」と讃え、「わが朋たちよ」と親しみをこめて呼びかけているのです。

中原中也は、「感性の新鮮」という表現で、《名辞以前》の・こうしたういういしい感性に注目したのだと思います。

中也と親しかった大岡昇平は、

「宮沢が〔…〕『名辞以前の世界』を『直接に表白』しているというのは、
〔中也にとって──ギトン注〕新しい発見だったはずである。」

と述べています。





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